『フィリックス・ザ・キャット』世界で最も過小評価されているであろう黒猫キャラ

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『見たことはあるけど一体このキャラは何だ?』の代表格!?

『フィリックス・ザ・キャット』を見たことない人はおそらくいないだろう...

大体の人は「10円のガムのキャラクター」だと認識していると思う。

あの黒猫キャラを見て「フィリックスだ!」と呼ばれず「10円のガムのキャラクターだ」と呼ばれるのは実にふがいない。

ミッキーマウスを見て「パックンチョのキャラクターだ!」という人はいないのに、なぜフィリックスは...ぶっちゃけて言うと過小評価されているように感じる。

当たり前だが『フィリックス・ザ・キャット』は元々カートゥーン作品であり、日本でもNHKの衛星アニメ放送で『フィリックス』(1997年)として放送されていたし、その後同局で『ベイビーフィリックス』(2000年)という日本オリジナルアニメも放送されていた。

だがアニメがいくら放送されていたとて、「10円のガムのキャラクター」という印象が大分強い...

だから今回は『フィリックス・ザ・キャット』はどれだけ偉大なキャラクターかを今回紹介したい!!

過小評価ポイント

どのキャラクターよりも歴史がある!

『フィリックス・ザ・キャット』1919年にアメリカの漫画家兼アニメーターのオット・メスマーが創作したキャラクターであり、『Feline Follies』というタイトルのサイレント(無声)アニメ映画で初登場した。

『Feline Follies』公開時はフィリックスという名前すらなく見た目も4足歩行の黒猫であった。

しかしこの作品が人気を博した結果この黒猫キャラにフィリックスという名前を付けて新作アニメを作り続けたことで、今のような2足歩行で丸顔のデザインに変化していった。

1919年という古さは他のキャラクターと比較してもずば抜けて古く、ミッキーマウスは1928年、ポパイが1929年、ベティ・ブープが1930年...現代のポップカルチャーで流通しているキャラの中でも最年長といえる。

フィリックスの人気エピソード!

1920年代ではフィリックスは人気の絶頂を迎え、メジャーリーグの『ニューヨーク・ヤンキース』のマスコットキャラに採用された。

さらに人類で初めて飛行機での大西洋横断飛行に成功したチャールズ・リンドバーグフィリックスの大ファンであり、自分の飛行機にフィリックスのイラストを入れたほどであった。(※またチャールズ・リンドバーグは日本の人気ロックバンドLINDBERG(リンドバーグ)の元ネタである。)

またカートゥーンのキャラクターがこれほど人気が出ること自体過去になく、その衝撃ゆえに様々な媒体がフィリックスをパクったキャラを作りだした。

あのミッキーマウスの生みの親ウォルト・ディズニー『アリス・コメディ』という作品のなかでフィリックス激似のキャラクターを出してしまったくらい↓

当時から既に著作権法というものが存在していたが、発明品や工業製品の知的財産を守る役割が強く、架空のキャラクターに対して著作権が発生するという認識が浸透していなかったためパクリ作品が数多く作られたと思う。

またウォルト・ディズニー『アリス・コメディ』は当然フィリックスの著作権を持つプロデューサーのパット・サリバンにパクリを指摘されて以降、パクリのフィリックスを出していない。

日本のキャラクターへの影響力!

フィリックスをパクったり影響を受けていたのはディズニーだけでない。

なんと日本の漫画家である田沼水泡の代表作『のらくろ』のデザインもフィリックスから影響を受けたことを公言している。

『のらくろ』は1931年に雑誌『少年倶楽部』にて連載が開始された漫画であり、漫画界のレジェンドである手塚治虫長谷川町子サザエさんの作者、のちに田沼水泡の弟子となった。)に影響を与えたほどの作品!


フィリックスにはデザイン以外にも日本の漫画界に影響を与えた特徴が一つある。

それはフィリックスが持つ黄色いかばん!!

フィリックスは黄色かばんを持っており、困ったときは黄色いかばんから小さいものからカバンに入りきらないほど大きなもの、あらゆるものを取り出して問題を解決していた。

・・・この黄色いかばん、何かに似ているような?

そう!ドラえもんの四次元ポケット!!

正式にドラえもんの作者の藤子・F・不二雄がフィリックスからの影響を公言していないが、漫画評論家の米澤嘉博がドラえもんの発想の原型のひとつとしてフィリックスがあることを彼の著書『藤子不二雄論』に記している。

フィリックスがもしなかったら、日本の漫画の歴史が変わっていたかもしれない。

それほどの影響を与えていたことは明白だと思う。

しかしこれほどの影響力のあるフィリックスがなぜディズニーやルーニーチューンズなどに並べなかったのか?

なぜディズニーやルーニーチューンズに負けたのか?

サイレント映画に固執してしまった

『フィリックス・ザ・キャット』が人気だった1920年代は音のないサイレント映画が主流であったが、1927年に音のあるトーキー長編映画『ジャズ・シンガー』が人気を博したことで、トーキー映画が注目される。

しかしこのような世間の流れに反して、『フィリックス・ザ・キャット』のプロデューサーのパット・サリバンはサイレントの作品を作り続けた。

そして1928年にアニメ史の歴史を変える作品であり、ミッキーマウスが初めて世に出たトーキーアニメ作品『蒸気船ウィリー』が公開された!

この作品に衝撃を受けたパット・サリバンはトーキー映画の可能性に気づいて、『フィリックス・ザ・キャット』のトーキー映画の制作を開始した。

初めに行ったのは元々サイレント映画として公開していた作品に追加で音声を加えることでトーキー映画としてリメイクするという手法であった。

しかしこの手法は上手くいかず、逆に『蒸気船ウィリー』と比べてクオリティが低いことが露見してしまうという結果に終わった。

そして『フィリックス・ザ・キャット』の制作プロダクションはリメイクではないトーキー映画を制作しようとしたが、ノウハウがないゆえに遅れが生じてしまった。

一方ディズニーは1932年に世界初のカラーアニメ作品『花と木』を公開!

『フィリックス・ザ・キャット』はどんどんライバルに差をつけられてしまった...

著作権管理が上手くいかなかった

悲劇はこれで終わらない・・・

なんとプロデューサーのパット・サリバンが1933年にこの世を去る...

『フィリックス・ザ・キャット』の著作権はパット・サリバンが保有しており、彼はあらかじめ法的に『フィリックス・ザ・キャット』の著作権を譲渡しなかったため、著作権がうやむやに。

それに乗じて子会社が粗悪なコピー作品を乱造していったため、『フィリックス・ザ・キャット』のブランドは失墜した...

その後1936年に復活を遂げてフィリックス初のカラー短編作品『The Goose That Laid the Golden Egg』が発表されたが、評価は芳しいものでなかった。

さらにその後も1958~1960年の間や、1995~1997年にも新作アニメが制作されたがかつての勢いを取り戻すに至らなかった...

優秀なサブキャラの不在...

上記2つが大きな原因ではあるが、失墜した人気を再建できなかった原因としては「優秀なサブキャラの不在」が挙げられると思う。

ディズニーを例に挙げると、そもそもディズニーが人気なのはミッキーマウスだけのおかげでなく、ドナルドダックグーフィーミニーマウスチップ&デールなど様々な有名キャラがいる。

ディズニーだけでない。ルーニーチューンズバックス・バニーだけでなくダフィー・ダッグポーキー・ピッグトゥイーティーシルベスター・キャットなど有名キャラがたくさんいる。

やはり様々な個性を持つキャラクターたちが関り合うことで主人公のキャラが浮き彫りになるので、優秀なサブキャラというのは絶対に必要となる。

一方フィリックスのサブキャラにはプロフェッサーという博士キャラ、その甥っ子であるもう一人の博士キャラのポインデクスターなど全くみんなに馴染みのないキャラクターばかり。

そもそも博士キャラ2人もいるのか・・・

現在のフィリックスは・・・?

『フィリックス・ザ・キャット』は2014年にドリームワークス(シュレックやマダガスカルの制作をした会社)が全版権を取得!

現代ではグッズ展開が主要になっており、雑貨やアパレルでフィリックス・ザ・キャットを見ることが多くなった。

是非皆さんは『フィリックス・ザ・キャット』を10円ガムのキャラクターというイメージだけでなく、歴史ある重要なキャラクターだと思って見てほしい...

外部リンク

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