Talking Heads(トーキング・ヘッズ)入門編【おすすめ曲・アルバム】

ポストパンク
画像出典:Talking Heads HOME | Facebook
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ニューヨークパンクシーンで異彩を放ったニューウェーブのパイオニア!

今でこそパンクと言えば「政治的・社会的反抗」というイメージで語られがちであるが、これは1970年代中期から後期のセックスピストルズThe Clashをはじめとするロンドンパンクが生み出した概念である。

そんな彼らが登場する前にパンクは存在していた。

1970年代前半、ニューヨークにある小さなバンドハウスCBGBCountry, Blue Grass, and Bluesニューヨークパンクというジャンルが生まれていた。

ロンドンパンク「政治的・社会的反抗」であるのに対して、ニューヨークパンク「音楽的・芸術的反抗」であった。

彼らは既存の音楽とは別の表現方法の追求し続けており、その中でも一番特異な存在と言えばTalking Heads(トーキング・ヘッズ)であった。

バンドのメンバーは全員アメリカでも最高クラスの美術学校ロードアイランド・スクール・オブ・デザイン出身のため、群を抜いてアート志向の人間たちであった。

彼らの持ち味はパンクアフロリズムの融合。

それだけにはとどまらずよりメロディックなギターポップなども世に放ってきた。

そんな彼らの音楽性に影響を受けたバンド・アーティストは

など多数のミュージシャンがいる。

中でもRadioheadはバンド名をTalking Headsの曲である「Radio Head」からとっているほどである。

そんな彼らを今回は紹介!

メンバー

デヴィッド・バーン

リードシンガー/ギタリスト。

バンドのほとんどの楽曲の作詞作曲を手掛けている。

幼いころから音楽に触れており、ギター・アコーディオン・ヴァイオリン・ハーモニカの演奏を身に着けていた。

その後美術学校ロードアイランド・スクール・オブ・デザインに入学し、学内にあった「ファビュラス・モーテルズ」(パフォーマンスアートと寸劇とロックの融合を試みていた芸術集団)に参加するようになる。

そこで後にバンドメンバーとなるクリス・フランツティナ・ウェイマスと知り合う。

卒業後デヴィッドクリスと共にArtisticsというバンド結成し、そこにティナが加わることでバンド名をTalking Heads(トーキング・ヘッズ)に改名した。

彼はワールドミュージックに傾倒しており、ラテンミュージックを始めキューバ、アフリカ、極東など様々な民族音楽を自身の音楽に取り入れた。

バンド解散後、デヴィッドは映画や演劇、ミュージカルなど様々な音楽を手掛けており、アカデミー賞グラミー賞トニー賞ゴールデングローブ賞を受賞している。

映画『ラストエンペラー』の劇中音楽を担当しており、ゴールデングローブ賞アカデミー賞を受賞した。(同じく映画音楽を担当していた坂本龍一コン・スーも受賞している。)

クリス・フランツ

ドラマー。

デヴィッドと同じくロードアイランド・スクール・オブ・デザイン出身であり、そのころからティナ・ウェイマスと交際していた。

そして1977年に2人は結婚している。

また彼は1981年に妻ティナと一緒にTom Tom Club(トムトムクラブ)というサイドプロジェクトを開始。

このバンドからリリースしたシングル「Wordy Rappinghood」「Genius of Love」は二つともビルボードホットダンスクラブプレイチャート1位を記録した。

Talking Heads解散後は、イギリスのハッピーマンデーズのプロデュースをしたりなど精力的に活動を続けている。

ティナ・ウェイマス

ベース/ボーカル。

ドラマーのクリスの妻。

元々はデヴィッドクリスがしていたバンドArtisticsの運転手のようなことをしていたが、ベーシストが見つからなかったため彼女が加入することとなった。

またTalking Headsに加入するまでベースの演奏経験がないため、デヴィッドがティナにベースのレッスンをしていた。

彼女はWirePere Ubuのようなポストパンクレゲエ・ファンクを組み合わせたベースプレイに定評があった。

Sonic Youthキム・ゴードンHaimエステ・ハイムなどの女性ベーシストに多大な影響を与えた。

Tom Tom Club(トムトムクラブ)ではボーカルを担当していた。

ローリングストーン誌が選ぶ「史上最も偉大なベーシスト50(The 50 Greatest Bassists of All Time)」にて29位にランクイン。

ジェリー・ハリスン

キーボード/ギタリスト。

彼はハーバード大学出身であり視覚環境学という分野で学士号を取得している。

元々はプロトパンクというジャンルで影響力があったバンド、ザ・モダン・ラヴァーズのメンバーとして活動していたが1974年で解散した。

その後1976年にジェリーティナに「Talking Headsに加入したい」と連絡したことで、1977年に彼は正式メンバーとなった。

加入当初Talking Headsの古参ファンから酷評されていたが、後にジェリーの実力で彼らを黙らせた。

Talking Heads解散後は、他のアーティストのプロデュースをしたりなど精力的に活動を続けている。


次ページからおすすめ曲・アルバムを紹介!!

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