The Clash(ザ・クラッシュ)入門編【おすすめ曲・アルバム】

UKパンク
画像出典:The Clash HOME | Facebook
スポンサーリンク

明確な政治・社会思想を提示して世界を変えようとした最重要パンクロックバンド!!

ロックを用いて政治的スタンスを表明した最初のミュージシャンはジョン・レノン、それ以降もたくさんのミュージシャン・バンドが音楽を通じて政治的スタンスを表明した。

だがGreen DayRage Against The MachineRancidU2などの著名なバンドたちが口揃えてThe Clashの政治的スタンスを表明し歌う姿に影響をうけた」と称賛する。

The Clashが他の政治的バンドと違うところ、それは一つ一つの具体的な社会問題を取り上げ大衆に対して問題提起したところ。

1970年代のイギリスのロンドン、最初にセックスピストルズが若者に「不満があるなら恐れず自分の意見を叫び、行動を起こす」ことを説いた。

その後The Clashは発展形として「行動を起こすなら価値のある理由を見つける」ことを説き、人種問題・原発問題・中東問題・汚職・警察の横暴などの当時の社会問題を曲の中で提起した。

このようなスタンスが後の世代の名盤Rage Against The Machine1stアルバムGreen Day『American Idiot』などの名盤に多大な影響を与えた。

そんなロック史において重要なバンドを名曲とともに紹介!!

メンバー

ジョー・ストラマー

ボーカル/リズムギタリスト

本名はジョン・グレアム・メラー

ギターを搔きむしるように弾いていたことからジョー・ストラマーと呼ばれるようになった。

(またこのようなプレイスタイルになったのは元々左利きであるのにもかかわらず右利きでギターを練習してしまったことから上達が難しくなったことに起因する。)

当時のイギリスのパンクロッカーの中では珍しい中流階級出身

彼は元々 “The 101’ers” というバンドに所属していたがミック・ジョーンズの誘いに乗って、1976年に同バンドを脱退後The Clashを結成。

セックスピストルズジョニー・ロットンに並ぶパンクのシンボル的存在。

自分たちの音楽を通じて政治・人種・社会問題を提起・解決しようとする姿勢はGreen DayRage Against The Machineなど多くの大物ミュージシャンたちに影響を与えた。

またThe Clash解散後も音楽活動以外にも俳優・映画音楽提供などの幅広い活躍を見せる。

さらに『サウスパーク』のオリジナルサウンドトラックの『The South Park Chef Aid』にも参加している。

しかし2002年12月22日に先天性の心臓疾患により逝去。(享年50歳)

「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第44位にランクイン。

ミック・ジョーンズ

ギタリスト。

ジョー・ストラマーの相棒的存在であり、彼と共にバンドのソングライティングの中心的存在であった。

ニューヨーク・ドールズジョニーサンダースに憧れて音楽の道にのめり込み、元々はロンドンSSというバンドを結成していた。

ロンドンSSが解散後ミックはジョー・ストラマーと出会い意気投合、The Clashを結成。

バンド解散後も音楽活動を継続しており、プロデューサーとしても活躍。

また2000年代のロックンロール・リバイバルの代表的バンドThe Libertinesのプロデューサーとしても活躍している。

ポール・シムノン

ベーシスト。

元々ミック・ジョーンズが所属していたバンドのロンドンSSのボーカルオーディションに参加していたこともあり、ポールとミックは顔見知りであった。

ロンドンSS解散後ミック・ジョーンズはポールを誘っていた。

ポールは始めギタリストとして加入したが、上達が見込めないことからベースへ転向した。

ベースプレイは主にレゲエ・スカに影響を受けている。

ロック史に残る大名盤『London Calling』のジャケットに映っているベースを振り下ろしていた男はこのポール・シムノンである。

現在でも音楽活動は続けており、2007年にはBlurデーモン・アルバーンと共にザ・グッド、ザ・バッド&ザ・クイーンというバンドを結成している。

トッパー・ヒードン

ドラマー。

元々はテリー・チャイムズがThe Clashのドラマーとして活躍していたが、メジャー契約直前に彼が脱退したためトッパー・ヒードンが加入した。

十代の頃からジャズドラマーとして地元のパブで活動していたため、パンク界隈では卓越したテクニックを持つドラマー。

The Clashが上手くレゲエの要素をパンクロックに導入できたのも彼の力量によるものが大きく、ジョー・ストラマーも彼がバンドの生命線であったとも語っている。

またバンド最大のヒット曲の「Rock the Casbah」は彼が作曲した。

しかし1982年にバンドを脱退。

理由はトッパー・ヒードンの薬物中毒が深刻化していたことにあった。

後釜としてかつて在籍していたテリー・チャイムズが再加入した。

次のページからおすすめ曲・アルバムを紹介!!

コメント

タイトルとURLをコピーしました