イギリス最後のロックンロールバンド!?
皆さんはロックンロールバンドに何を求めているか!?
- カッコいいロックソング
- イケメンのバンドメンバー
- 労働者階級からのサクセスストーリー
- 世間を賑わす派手な言動
大体こんな感じ、でも割とこれらを全て兼ね備えたバンドは多くない。
特に2000年代にデビューしたロックバンドだとほとんどいないのでは・・・?
Oasisみたいに労働者階級から一気にスターになる様子を誰もが見たがっていたのでは?
そしてついに2002年にそんなバンドがデビューした!
それが今回紹介するThe Libertines(ザ・リバティーンズ)だ。
当時ロックンロール・リバイバルブームの渦中にあり、イギリス中の誰もがThe StrokesやWhite Stripesに夢中になっていた。
しかしThe StrokesもWhite Stripesもアメリカのバンド...イギリス人はイギリス出身のロックンロール・リバイバルのバンドを求めていた。
そこで彗星の如く現れたのがThe Libertines(ザ・リバティーンズ)!!
ロックファンも評論家も彼らを絶賛したが、2004年に解散...(その後2014年に再結成するまで何も活動をしなかった)
原因はバンドのフロントマンであるピート・ドハーティの数々の奇行。
昔ながらのロックスターのハチャメチャな行動を世間が受け入れないことが証明された瞬間であった。
彼らの軌跡を音楽と共に紹介する。
メンバー
ピート・ドハーティ
ギターボーカル。
イギリス最後のロックンロールスター!
類まれなる才能を持っていたのにもかかわらずドラッグによって台無しになった代表例。
学生時代は成績優秀!
特に詩の才能があり16歳の時に詩のコンクールで入賞し、ブリティッシュ・カウンシルの主催したロシアへの訪問旅行にも参加した。
その後名門のロンドン大学クイーンメアリー校で英文学を学ぶが、ドラッグに溺れてしまい1年で退学。
その後カール・バラーと仲良くなり、彼と同居しはじめバンドを結成。
その後頭角を現すようになるが、同時に奇行が目立ち始める...
彼の奇行は多すぎるので後でまとめている。
音楽的な影響としては、The ClashとThe Smithsを挙げている。
他にはThe Larsのリー・メイヴァースやThe Only Ones、ニューヨーク・ドールズ、ザ・ストゥージズ、バズコックス、Chas & Dave などを挙げている。
2006年5月10日にNMEの世論調査による「偉大なロック・ヒーロー50人」の第2位に選ばれた。
カール・バラー
ギターボーカル。
ピートの才能に勝るとも劣らない相棒であり、共同作詞作曲者。
元々はブルネル大学で演技を勉強しており、その中でピート・ドハーティの姉エイミー・ジョーと仲良くなり、彼女を通じてピートと知り合う。
カールとピートはよき相棒でありライバルでもあった。
そのためライブではマイクを奪い合って歌うなど派手なパフォーマンスで客を沸かせた!
影響を受けたミュージシャンはジャンゴ・ラインハルト、The Velvet Underground、ドアーズ 、The Clash。
ジョン・ハッサール
ベーシスト。
彼が13歳のころにビートルズを聴き衝撃を受け音楽の道を志す。
The Libertinesに加入する前までにいくつかバンドを組んだがどれもうまくいかなかった。
また中学校の同級生にレイザーライトのジョニーボレルがおり、一時期彼とバンドを組んでいたこともあった。
ゲイリー・パウエル
ドラマー。
ゲイリーは他のメンバーに比べて歳が10歳ほど年上である。
ドラムプレイの上手さは業界でも定評があるため、ニューヨーク・ドールズやスペシャルズ、Red Hot Chili Peppersなどの大御所バンド、大人気バンドと共演したこともある。
ピート・ドハーティの奇行の数々
一時期はUKロックの救世主とまで言われたThe Libertinesが2004年に解散した理由。
それはピート・ドハーティの奇行によるものだった。
しかしその意味不明さが我々の心を掴んで離さない!
彼の奇行の数々を紹介していこうと思う。
相棒カールの家に盗みに入り、現行犯逮捕される
犯行の動機は単にカールへの私怨であったが、2003年にピートがカールの留守宅に押し入ったため強盗容疑で収監される。
この事件により2人の中は最悪になったが、ピートが入獄中に和解した。
その後ピートに対して当初宣告された拘留期間は6か月であったが、2か月に短縮された。
タイにある麻薬中毒者を更生させる寺院に入所するが3日で逃げ出す
バンドへ復帰するためピートはドラッグ絶ちを決意。
その一環としてタイにある麻薬中毒者を更生させる寺院に入所するが、竹竿で打たれたり嫌なにおいのする薬草を飲まされたりなどの苦行に耐えることが出来ず3日で逃げ出してしまった。
ロンドンの高級クラブで大暴れ!!
ロンドンには有名セレブたちだけが入れる会員制の高級クラブ「Groucho」がある。
ピートはこのクラブで開かれたチャリティーコンサートに呼ばれてショーを行った。
しかしピートはクラブの天井につるされている彫刻を引っ張って粉々にする。
この彫刻は6万ポンド(約1,200万円)の価値があるアート作品だったため、クラブのオーナーは激怒!!
ピートはこのクラブを永久追放されてしまった。
Oasisのリアムとの確執...
ピートはあのOasisの元ボーカルであるリアム・ギャラガーと深い対立関係にある。
最初は1997年 Oasis の3rdアルバム『ビィ・ヒア・ナウ』がリリースされた。
そのアルバムのリリース日にMTVのテレビクルーがOasisの新譜を買いに来たファンたちに向けて突撃取材を行った。
そのときインタビューを受けたファンの一人が、当時18歳で素人だったピート・ドハーティだった。
このときピートは「あなたにとってOasisとは何?」という質問に対して
ウンベルト・エーコ(記号学者、2016年没)的視点から見ると、ノエル・ギャラガーは詩人。 そしてリアム・ギャラガーは広報担当って感じだね。 僕はいつもそのコンビネーションって完璧だと思ってるんだ。 分かる?
と回答(↓が当時のインタビュー映像)
この映像がピートがリバティーンズのボーカルとして有名になったところ出回ってしまい、リアムの怒りを買うことに。
またピートはリアムのかつての不倫相手であるリサ・ムーリッシュという女性との間に子供を妊娠させて怒りを買う...
極めつけは2005年にOasisはThe Libertinesをサポートアクトに抜擢するが、ピートが遅刻をして共演が実現しなかった。
さらにピートは吹っ切れたのか...?
2017年にピートは「チャリティーイベントで俺とリアムでボクシングの試合をしよう!」とジョークを飛ばしていた・・・
大物UKロックミュージシャンから嫌われる
下記は全てピートに対する批評である。
「ケイト・モスの写真の背景」 by ノエル・ギャラガー(元Oasis)
※ピートは当時イギリスのトップモデル”ケイト・モス”と交際していた。
「みんな、彼に才能があるって言ってるだろ。過大評価しすぎだ。」 by デーモン・アルバーン(Blur)
「『リバティーン』ってどんな意味か分かるか? 自由だよ! 奴は通りの角に立って、ヘルメットしてヘロインやってるみたいな野郎だぜ? そこに自由なんて何もないさ。イライラするんだよ」 by リアム・ギャラガー(元Oasis)
その他
- マコーレー・カルキン(ホームアローンの子役)と同居生活をしていた。
- 「お腹がすいた」という理由でイギリスで有名な大食いチャレンジに参加、そして完食する。
- ドイツ公演でナチス統治時代のドイツ国歌を歌って強制退場。
- 2011年にタイにある麻薬中毒者更生施設に再度入院するも、施設関係者から「他の患者に悪影響を及ぼす」という理由で3週間で追い出される。
- BBCから子供番組への出演を全面禁止される。
あと数十個はあるけどきりがないので調べてみてください!!
次ページからおすすめ曲・アルバムを紹介!!
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