Megadeth(メガデス)入門編【おすすめ曲・アルバム】

メタル
画像出典:Megadeth HOME | Facebook
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「知」と「暴」と「技」の三位一体を持つスラッシュメタル四天王の一角!!

スラッシュメタルというジャンルにおいて著名な4つのバンド、「スラッシュメタル四天王」と呼ばれているバンドたちがいる。

今回紹介するMegadethのリーダーのデイヴ・ムステインは自分たちの音楽を「インテレクチュアル・スラッシュメタル」と称し、複雑かつテクニカルなフレーズと曲構成で政治や戦争の是非や表現の自由、環境問題をテーマに歌い上げた。

バンドは全世界で3800万枚以上の売り上げを誇るバンドとなって、発表したアルバムの内12枚がグラミー賞にノミネート、そのうち1枚『Dystopia』メタルパフォーマンス部門受賞している。

メタル界隈、音楽業界において大御所バンドであることは明らかである。

しかしこのバンドはリーダー”デイヴ・ムステイン”のとある復讐から始まったのであった...

メンバー

※個人的に全盛期と思う1990年のラインナップを紹介。

デイヴ・ムステイン

ボーカル/ギタリスト。

日本のファンからは”大佐”という愛称で親しまれている。

彼は元々Metallicaのギタリストであり作曲の要でもあった。

しかし彼はドラッグやアルコールなどの素行の悪さから1983年にバンドを解雇されてしまう。

デイヴにとってこの出来事は親の死よりもつらい出来事であったと語っている。

しかしその後彼はMetallicaを超えるバンドを作る」ことを目標にする。

その後彼は1983年にMegadethを結成。

オーディションでボーカリストを探すも適任がいなかったため、デイヴ自身がボーカルをすることとなった。

その後バンドは成功し「スラッシュメタル四天王」の一角と呼ばれるようになるが、2002年にデイヴが橈骨神経を痛めたことでバンドは解散を余儀なくされる。

しかし理学療法とリハビリを続けた結果デイヴは回復し、2004年にMegadethの活動が再開された。

デイヴは荒々しい性格とは裏腹にテクニカルで複雑なフレーズを綺麗に演奏する技術を持つ。

また彼の功績はより効率的な弦移動を可能にした演奏技術スパイダーコードを普及させたこともある。

ギターワールドの読者投票による「史上最高のギタリスト100人」において第12位にランクインされた!

デイヴィッド・エレフソン

ベーシスト。

結成当初からいるメンバーであり、デイヴ・ムステインと名前が被っているため「ジュニア」の異名を持つ。

デイヴィッドデイヴと同じアパートに住んでおり、デイヴィッドが弾くベースの音がうるさいためデイヴが彼の部屋に文句を言いに行ったことが初めての出会いだという。

プレイスタイルは主にピック弾き。

しかし2021年5月10日、Twitter上にデイヴィッドファンとのプライベートな動画が流出。

これによりデイヴ・ムステインデイヴィッドを解雇するという判断を下した

現在デイヴィッドはこの動画を無断で投稿したものに対して法的措置をとると発表した。

マーティ・フリードマン

リードギタリスト。

日本人にとってこの人は「日本語がうますぎる外国人ギタリスト」「タモリ俱楽部にでるかアイドルの後ろでギターを弾く人」という印象が強いと思うが、彼はMegadethの全盛期を支えた凄腕ギタリストなのである。

マーティはハワイ出身であり10代のころから日本文化に触れる機会があり、その当時から日本への関心があった。

14歳でKISSのライブを見て感銘を受けて、独学でギターを学ぶ。

その後オーディションによって1990年にMegadethに加入。

マーティ東洋音楽(主に演歌)西洋音楽(クラシック)が融合したようなフレーズにより、Megadethは更なる領域へと進めた。

この頃からマーティはツアーで日本へ行ったことで、これまで以上に日本に興味を持つようになり通信教育で日本語を学び始める。

しかし2000年、マーティデイヴと音楽性の違いによって衝突しマーティ自らがバンド脱退する。

そして2004年に何も仕事が決まっていない状態で単身で日本に移住!

その後友人のコネで相川七瀬と知り合ったことで日本でタレント活動を開始。

以後みんながよく知るマーティ・フリードマンとなり、日本文化を世界に発信するPR活動も行ってくれている。

ニック・メンザ

ドラマー。

マーティと同じ時期にオーディションを経てMegadethに加入。

彼も全盛期Megadethを支えるメンバーとして活動を開始。

元々ジャズやファンク・R&Bなどの曲を好んでいたため、メタル以外のプレイも器用にこなすことが出来る。

しかし1998年に膝の故障により手術やリハビリを余儀なくされ、バンドを脱退する。

その後彼は自身のソロバンドで活動するようになる。

2016年5月21日、ロサンゼルスのジャズクラブで、自身の所属するインストゥルメンタル・バンドのライブ中に心臓発作で倒れ、死去。

享年51歳であった。

また彼は音楽以外で話題になることが多い。

2014年7月に彼は自宅の庭でUFOに遭遇しその様子を撮影!

その動画がネットに投稿された↓

次のページからおすすめ曲・アルバムを紹介!

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