ニューロマンティックの代表的バンドであり、MTV時代の火付け役!!
このブログを始めて既に1年は経過したが、好きな洋楽を紹介する動機は主に2つだ。
- 恐らくみんなが知らないであろう良いバンドを紹介する。
- 有名であるがゆえに偏ったイメージを持たれているバンドの誤解を解く。
今回Duran Duran(デュラン・デュラン)を紹介するのは後者の理由である。
Duran Duranは1978年にイギリスのバーミンガムで結成されたニューウェーブバンド。
1980年にメジャーデビューして以降、イギリスのみならずアメリカでも大人気となり全世界で人気を博したバンドである。(通算レコード・CD総売り上げ枚数は1億枚を超えている。)
またDuran Duranのメンバー全員がイケメンであったためライトなファン層を手に入れたが、当時イケメンであるが故音楽評論家たちからは「ルックスだけのアイドルバンド」というレッテルを貼られていたことも事実。
だが2000年代に入ってからは再評価されそんなレッテルを貼る人が少なくなった。
というのもBeckやKornのジョナサン・デイヴィス、The Killers, ジャスティン・ティンバーレイクなどの多種多様のジャンルのミュージシャンたちがDuran Duranからの影響を口にしたためだ。
つまりDuran Duranは後世の音楽性の形成において重要なバンドであったことを示していたのであった。
ミュージックビデオに革命を起こしたバンドの一つ
また彼らの最大の功績はMV(ミュージックビデオ)を始めてクオリティの高いものを制作し、マイケルジャクソンやマドンナと共にMTVブームの火付け役となったことである!!
当時の新曲の宣伝の主流はラジオであり、ミュージックビデオを作る文化はそれ以前からあったもののどのバンドもライブ映像の流用がほとんどで低予算のものであった。
しかしDuran Duranは1980年代はMV(ミュージックビデオ)が時代の主流になることを予見していたため、以前とは比べ物にならないほどのクオリティの映像を目指した。
映像も楽器を演奏する映像ではない映画のようなストーリー仕立ての映像にし、カメラも当時の映画撮影に使われていた35mmフィルムを採用、ロケ地もエキゾチックなスリランカやアンティグア島で行った。
結果MVをきっかけに売れるというフォーマットを作り、それを真似たイギリスのバンドが続出。
第2次ブリティッシュインヴェンションを引き起こすこととなった!!
メンバー
主要なメンバーのみ。
サイモン・ル・ボン
ボーカル。
4代目のボーカルであるが、サイモンが加入して以降バンドは一気にメジャーになった。
元々バーミンガム大学で演劇を学んでいたが、その傍らでバンド活動をしていた。
1980年に当時のサイモンの彼女の勧めでDuran Duranのバンドのオーディションを受ける。
志望者の中で唯一サイモンが書き溜めていた曲や詩を持ってきていたため、そのまま合格。(ルックスが良かったことも合格した一因でもある。)
カリスマ性あふれるライブパフォーマンスやファンクを基調とした作曲などで評価されている。
また同バンドのニック・ローズとともにサイドプロジェクトであるArcadiaとしても活躍しており、「Election Day」という曲が全米6位、全英7位のヒット曲となった。
ニック・ローズ
キーボード。
オリジナルメンバーであり、バンドサウンドの中核的存在。
バーミンガムで生まれ育ち、父は地元で有名な玩具屋の経営者であり裕福な家庭で育った。
しかし高校を中退して1978年にDuran Duranを結成する。
当時70年代はシンセサイザーそのものが珍しかったが、彼は音楽的教育を一切受けず独学でシンセサイザーを学んだため他のバンドにはない独自のサウンドを形成することに成功した。
また音楽以外にも写真が趣味であり、個展を開くこともある。
ジョン・テイラー
ベーシスト。
オリジナルメンバーであり、結成当初はギターを弾いていたがアンディ・テイラーの加入によりベーシストに転向する。
また彼はChicのジェームス・ジェマーソンのようなファンキーなベースに憧れていたこともあり、楽器の転向には前向きであった。
またベーシストとしてThe Clashのポール・シムノンを尊敬している。
彼はサイドプロジェクトとしてパワー・ステーションとニューロティック・アウトサイダーズのメンバーとしても活躍していた。
ロジャー・テイラー
ドラマー。
Queenのドラマーのロジャー・テイラーと同姓同名であるが、全くの別人。
ドラムプレイの影響はロキシー・ミュージックのポール・トンプソンやローリングストーンズのチャーリー・ワッツ、Chicのトニー・トンプソンから受けている。
バンドメンバーの中では寡黙なキャラ。
ドラムは12歳から始めたものの、元々サッカー少年でありプレミアリーグのアストン・ヴィラFCのゴールキーパーになっての本拠地ヴィラ・パークの芝の上に立つことが夢であった。
その夢はかなわなかったもののアストン・ヴィラFCの本拠地ヴィラ・パークで演奏したため、半分夢がかなう形となった。
おすすめ曲
Girls on Film
1stアルバム『Duran Duran』(1981年)、収録曲。
邦題では『グラビアの美少女』と言われている。
彼ら初のUKシングルチャートでTOP10以内に入ったヒットシングル。
テーマは「ファッションモデルや女優への搾取」であったが、皮肉にもこの曲のPVは際どい服装の美女が出てくるため、当時BBCではPVの放送が禁止されていた。
またMTVではかなり編集されたPVのヴァージョンが放送されることになった。
UKシングルチャートで5位を記録!
Hungry Like the Wolf
2ndアルバム『Rio』(1982年)、収録曲。
アメリカでの人気を確立した記念的ヒットソング!
当時Duran Duranはシンセサウンドだけのバンドだと多くの批評家に思われていたが、この曲ではギターリフとシンセサウンドの調和がとれていたため批判の声を黙らせることに成功した。
映画「シュレック2」でこの曲が流れている。
UKシングルチャートで5位。
USビルボードホット100にて3位を記録!
USビルボードメインストリームロックチャートにて1位を記録!
またローリング・ストーン誌の『オールタイム・グレイテスト・ソング500』(2021年版)では398位にランクイン。
またこの曲のMVはスリランカのジャングルで撮影されているという多大な予算をもって作成された。(当時MVのためだけに海外でロケをするのはかなり珍しかった。)
インディージョーンズや地獄の黙示録のパロディ要素もある楽しい作りになっている。
1984年の第26回グラミー賞最優秀ミュージックビデオ賞を受賞した!
Rio
2ndアルバム『Rio』(1982年)、収録曲。
イントロのシンセサイザーのアルペジオフレーズが印象的な初期のヒット曲。
PVはカリブ海の島アンティグア島で撮影されており、オシャレかつエキゾチックな内容となっている。
『サウスパーク』のクリスマスミュージカルエピソードであるS03E15『Mr.ハンキーのクリスマスDEショー』にてこの曲が出てくる。
キリストとサンタがメドレーで自分をテーマにしたクリスマスソングを歌い合うのだが、サンタはレパートリーがなくなり苦し紛れにこの「Rio」を歌った!
USビルボードホット100にて14位を記録!
USビルボードのメインストリームロックチャートにて5位を記録!
UKシングルチャートで9位を記録!
NMEが選ぶ「1980年代のベスト・トラック100」にて67位に選ばれた!
Is There Something I Should Know?
アルバム未収録のシングル曲。
バンド初の英国ナンバーワンシングル。
バンドの中で1,2位を争うくらいポップで踊りやすい曲と思う。
ファンキーで複雑なベースラインに注目してほしい!
USビルボードホット100にて2位を記録!
UKシングルチャートで1位を記録!
The Reflex
3rdアルバム『Seven and the Ragged Tiger』(1983年)、収録曲。
彼ら最大のヒットシングル!
しかしポップな曲調・サウンドとは裏腹に、この曲の歌詞はかなり難解である。
UK/アイルランドの音楽ストリーミング・サービスBlinkbox Musicが、「最も不可解な歌詞を持つ曲は?」との一般投票を行ったところ、この曲が第7位に選ばれた。
そのフレーズがサビの
The reflex is an only child, he's waiting in the park 鏡に映ってる のは公園で待ちぼうけの孤独な子ども
う~ん、わからん...
しかし売れたのは事実!
USビルボードホット100にて1位を記録!
UKシングルチャートで1位を記録!
The Wild Boys
ライブアルバム『Arena』(1984年)、収録曲。
インダストリアルなリズムを基調にした胸が熱くなるロック。
PVが特徴的で映画『マッドマックス』のような世界観が踏襲されており、ボーカルが大きな風車の羽に貼り付けられながら歌うシーンが面白い。
またこの曲はK-1やPRIDEで活躍した格闘家ミルコ・クロコップの入場曲としても有名である。
USビルボードホット100にて2位を記録!
UKシングルチャートで2位を記録!
Ordinary World
7thアルバム『Duran Duran (The Wedding Album)』(1993年)、収録曲。
今までとは打って変わってシンセサイザーの音は潜め、アコースティックな楽器を中心にサウンドが形成されているソフトロック。
歌詞の内容は親友の死を乗り越えて生きようとする男の物語。
この曲の大ヒットによりバンドは80年代だけのバンドという汚名を払拭することに成功した。
USビルボードホット100にて3位を記録!
USビルボードのオルタナティブエアプレイにて2位を記録!
UKシングルチャートで6位を記録!
おすすめアルバム
『Rio』(2ndアルバム/1982年)
バンドの最高傑作であり、ニューウェーブ・ニューロマンティックというジャンルを確立させた名盤!
ほぼ捨て曲なしのクオリティの高いアルバム!
曲調はアメリカのR&Bやファンクに影響を受けたものが多いが、サウンドそのものは斬新の者が多くニューウェーブと呼ぶにふさわしいものであった。
しかしこのアルバムが発売された当時、売り上げは良好であったものの批評家からは否定的な意見が多かった。
というのもメンバー全員がイケメンであったことや、イギリスのニューウェーブ/ニューロマンティックというジャンルがファッション専攻の軽薄な音楽という認識があったためであった。
だがここ最近それらのニューウェーブ/ニューロマンティックというジャンルが後世の音楽に多大な影響を与えていたことが判明し、肯定的な意見が多くなった。
特にニューウェーブというジャンルを決定づけた名盤という評価をする専門家も多い。
UKアルバムチャートで2位!
USビルボード200にて6位にランクイン!
2002年にピッチフォークが選ぶ「1980年代の最高のアルバム100枚のリスト」で95位に選ばれる。
『Duran Duran (The Wedding Album)』(7thアルバム/1993年)
80年代のバンドと思われていた彼らが方向性を変えて90年代で再び大ヒットを記録したアルバム!
このアルバムの正式名は『Duran Duran』とタイトルとバンド名が全く同じなのだが、アルバムジャケットが結婚式の様子であったためThe Wedding Albumと呼ばれるようになった。
このアルバムを発表する直前のDuran Duranは正直人気に陰りが見え始めていた頃であった。
というのも90年代に入ってオルタナティブロック・ムーブメントが起こったことにより、それ以前の音楽を排除する動きがあったためだ。
このような逆境の中で彼らは以前のようなシンセサウンドを踏襲したうえで、大人な雰囲気があふれるAORやソフトロック的なアプローチをした。
結果アルバム収録のシングルの「Ordinary World」は全米3位、「Come Undone」は全米7位という大ヒットを記録。
80年代だけのバンドではないことを証明したアルバムであった。
UKアルバムチャートで4位!
USビルボード200にて7位にランクイン!
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