『ボージャック・ホースマン』擬人化した馬が自身の鬱・依存症・自己嫌悪と向き合うブラックコメディ!

カートゥーン
画像出典:BoJack Horseman HOME | Facebook
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2010年代で最高の大人向けカートゥーンという呼び名が高い傑作ブラックコメディ!!

  • 鬱病
  • 依存症
  • トラウマ
  • 人種差別
  • 性差別
  • 自己嫌悪・自傷行為

これらの暗いテーマを人間と擬人化された動物が共生する不思議でシュールな世界観で描くのが、今回紹介する『ボージャック・ホースマン』

2014年にNetflixオリジナルアニメとしてアメリカで放送開始、2015年には日本でも放送された。

その後毎年のようにアニー賞(アニメ版のアカデミー賞のような名誉ある賞)にノミネートされ、内2度も受賞している。

さらにプライムタイム・エミー賞批評家チョイスアワード全米脚本家組合賞にもノミネートされ、2010年代ではあらゆる賞を獲得した。

GQマガジンでは『ボージャック・ホースマン』を「ここ 10 年間で最高の番組の 1 つ」と称賛し、IndieWireが発表した「史上最高のアニメ テレビ シリーズ・ベスト65」では第1位に選び大絶賛!!

なぜここまで『ボージャック・ホースマン』は評価されるのか?

『ボージャック・ホースマン』を簡単に表すと「喜劇のような悲劇」であり、「悲劇のような喜劇」でもある、そんな不思議な物語。

その魅力を今回少しでも皆さんにお伝えしたい!!

あらすじ

馬人間であるボージャック・ホースマンは俳優であり、90年代に『馬か騒ぎ』というコメディドラマで一世を風靡していた。

しかし番組終了後は落ちぶれてしまい、豪邸で自堕落な生活を送っていた。

ある日ボージャックは俳優として再復活するための足掛かりとして自伝小説を書き始めた。

しかし1年半経っても書き上げなかったため、出版社はついにしびれを切らしてゴーストライターとしてダイアン・ニューエンという女性社員を彼のもとへ送る。

ダイアンボージャックの話を聞きながら彼の自伝を書き進めるが、この過程でダイアンボージャックの心理的な問題を浮き彫りにしていく...

登場人物

ボージャック・ホースマン

本作の主人公であり、の擬人化。

90年代に『馬か騒ぎ』というコメディドラマで一世を風靡していたが、この番組が終了後は半分隠居状態で大邸宅で財産を食い潰しながら自堕落な生活を送っていた。

一見クールでシニカルな物腰で構えているように見えるが、その内面は強い自己嫌悪感と孤独感、臆病さに苛まされている。

それゆえ対人関係において異常な行動を起こすことが多々ある。

本作は彼が自身の内面にどう向かい合っていくかの物語である。

ダイアン・ニューエン

ベトナム系アメリカ人の女性。

ボージャックの自伝本のゴーストライターをしている。

ボージャックとは違い頭が良くて社会問題に対する意識も高いゆえに、性格が合わない様子であったが、後に彼の数少ない理解者へとなる。

またダイアンの家族は全員頭が悪く怠け者で意地悪であったため、幼少期に家族全員が彼女のことをイジメており、学校でもいじめにあっていた。

そんな頃に彼女が心のよりどころにしていたのがボージャック主演のコメディドラマ『馬か騒ぎ』であった。

トッド・チャベス

ボージャックの家に居候している人間の青年。

ボージャックの家で開催されたホームパーティーに参加して以来、家から出ようとしなかったためそれ以降ずっとボージャックの家に居候している。

普段は怠け者で頭が悪そうだが、音楽や映画に対しては奇抜な才能を持っており活躍することもある。

だがボージャックは自分が孤独になるのが怖くて、トッドが独立して家から出ていかないように彼のチャンスをことごとく潰そうとする。

それゆえトッドはボージャックと距離を置きたがるようになる。

プリンセス・キャロライン

ピンク色のペルシャ猫の擬人化。

ボージャックのエージェント(※仕事を取ってくる人)であり、元恋人。

仕事もプライベートも全力で頑張ろうとするキャリアウーマンの鑑。

自分勝手なボージャックによく振り回されるが、それでも彼のことを気に掛ける。

ミスター・ピーナツバター

犬(ラブラドール・レトリーバー)の擬人化。

ボージャックの代表作である『馬か騒ぎ』を模倣したドラマ『ピーナッツバターのお家』の主演として俳優デビューを果たし、ボージャックのライバル的存在まで昇り詰めていた。

そしてダイアンの恋人。

持ち前の明るさと人懐っこさで多くの人に気に入られているが、ボージャックからは嫌われている。

また単純に頭が悪く、コメディドラマの主演であったのにも関わらずあらゆるジョークの意味を理解していない。

見どころ

喜劇は悲劇と紙一重!?

喜劇やコント、漫才というのは登場人物が予想不能な事態に巻き込まれて翻弄されてしまう姿を見て笑うのが普遍的であろう。

一方悲劇は主人公が予想だにしない不幸な出来事に直面し、破滅的な運命を迎えるというのがよくあるパターンだ。

喜劇と悲劇の定義...

見比べると構造的にこの2つは同じである。

違うのは演出くらいか...

ボージャック・ホースマン』は喜劇と悲劇の境界線になぞるような展開が多い。

それゆえ視聴者にとって笑えるか悲しいかの別れ方が激しいのではないかと思う。

また『ボージャック・ホースマン』を見ていると、自分の感情に戸惑いや驚きも感じることもある。

一瞬可哀そうだと思ったけど笑ってしまったのはなぜだろう?

逆に声に出して笑うにはあまりに可哀そうだが、じわじわ笑いがこみあげてくるのはなぜ?

とか。

常にこの作品は視聴者を揺さぶる未知のコメディを繰り広げるのだ。

現実にはハッピーエンドは存在しない...?

死ぬことをエンド(終わり)として考えるなら、この世の有名な物語作品のほとんどにハッピーエンドが存在しないのだ。

『シンデレラ』『白雪姫』『美女と野獣』『アラジン』も主人公が結婚したところで物語の幕が下りてハッピーエンドと銘打つ。

でも実際幕が上がったままだったら上記の作品たちは登場人物たちの人生は続くし、そのまま結婚生活を描くことになる。

意地悪な予想をすれば夫婦の片方が若くして亡くなるかもしれないし、結婚生活が上手くいかずに別れるかもしれない。

つまるところ何が言いたいかと言うと、「現実世界にはハッピーエンドは存在せず、嬉しいこと悲しいことが起きてもずっと人生が続く!」ということ。

ボージャック・ホースマン』ではこのテーマを軸にしたエピソードが多くある。

主人公ボージャックはことあるごとにある一話で幸運と不運に見舞われても、よくあるギャグマンガのように次のエピソードから前回のことが何ごともなかったようにならない。

主人公ボージャックは心の傷を常に抱えて物語が進んでいく。

たまに傷がいえても別の不運に襲われてボージャックは新しい傷を負う。

ボージャックだけでない、他の登場人物たちも精神的な傷を抱えて生きてい行く。

登場人物の心理描写に関してこの番組はかなり現実的なのだ。

このような描写をしつつ番組をコメディとして見せることはかなり斬新で、あらゆるメディアがこの番組を絶賛するのは何も不思議ではないのだ。

視聴するには?

現在はNetflixで視聴可能!!

シーズン6まであり、特別エピソードを入れると全部で77話ある。

正直この番組の第1話はかなり面白いかと言われると、首を縦に振りずらい...

なぜならシュールすぎる絵柄と話の内容がマッチせず、話があまり入ってこないためだと思う。

しかし3話以降を見るともう止まらない

みんな主人公ボージャックの運命が気になってこの物語を追い続けることになると思う。

外部リンク

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