30年以上アメリカのメタルを牽引したモンスター級のバンド!!
今更Metallica(メタリカ)の紹介で恥ずかしさと緊張感を同時に感じる。
でも改めてMetallicaのことを調べると、尋常ではないバンドであることを再認識できた。
Metallicaは1981年に結成。
スラッシュメタルと呼ばれる攻撃的かつハイテンポ、ギターソロではなくギターリフを主軸とした音楽でMetallicaは80年代半ばに一気にスターダムへとのし上がる。
さらにMetallicaがすごいのはそんな自分たちの音楽性に拘らず、90年代においてミドルテンポのグルーヴ感を重視した音楽へと転向。
結果彼らは今まで以上に音楽界において重要な存在へと成長し、メタル史において最も重要かつ影響力のあるバンドと呼ばれるようになった。
現在では全世界で1億2500万枚以上の売り上げを誇っている。
また2011年のローリングストーン誌の読者が選ぶ「ベスト・メタル・バンド10」にて1位に輝くなど間違いない人気を誇る。
メンバー
現メンバー
ジェイムズ・へットフィールド
ボーカル/リズムギタリスト。
バンドで唯一無二の存在感を放つフロントマン。
彼のボーカルスタイルは低音から中音域の野太い声を中心とした歌唱を行っており、メタルにありがちな高音シャウトをあまりしない。
ギタープレイにおいてはリズムギターの名手と呼ばれるほどの実力を持つ。
Panteraのダイムバック・ダレルはジェイムズの右手(ピッキングする方の手)のテクニックを称賛しており、BPM200~210のテンポで8分音符をダウンピッキングのみで安定して弾いてしまう実力の持ち主。
またそれ以外にも叙情的なアルペジオやフィンガーピッキングなどの柔らかいプレイも出来る。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」2011年版において87位に選ばれている。
作曲においては複雑かつ攻撃的なギターリフの作成能力が群を抜いている。
幼少期、彼はAerosmithを見てギターに興味をもった公言している。
彼はスケートボードが趣味であるが、何度も転倒してギタリストの命ともいえる手首を骨折するためマネジメント会社から「ツアー中は絶対にスケートボードに乗ってはいけない!」という契約を結ばされるなど可愛い一面もある。
ラーズ・ウルリッヒ
ドラマー。
元々デンマークに住んでおり、祖父も父親もプロテニス選手というスポーツエリート家庭で過ごしており、ラーズもプロテニス選手になるべく生活を送っていた。
また同時に12歳の時にDeep Purpleのライブを見て音楽にもハマり、13歳から祖母にプレゼントされたドラムセットでプレイをしていた。
そしてより良いテニスの練習環境を求めてラーズの家族はでアメリカのカリフォルニア州に引っ越す(当時ラーズは17歳)。
しかしラーズはスポーツ名門のコロナデルマール高校のテニス部に入ることが出来ず(たった7人しか入れない)、テニスの道を諦める。
その後ラーズは地元新聞にバンド募集の広告を掲載。
広告を見て連絡してきたジェイムズ・へットフィールドと意気投合し、Metallicaを結成した。
元々ツーバスを用いた高速ドラムプレイが持ち味であったが、バンドの音楽性の変化ともに幅広いプレイが可能となった。
2010年に発表した「ローリング・ストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のドラマー」にて62位にランクイン!
カーク・ハメット
2代目リードギタリスト。
先代のデイヴ・ムステインの後釜として加入、以降Metallicaの不動のリードギタリストとして活躍。
元々エクソダスというスラッシュメタルバンドのギタリストであった。
彼は最初のころ録音した楽曲に忠実なプレイを心がけていたが、徐々にそのこだわりが薄れてコード進行やスケールから逸脱したアドリブを入れるようになる。
そのことからMetallicaのファンは彼のライブでのミスを指摘するようになり、歪な楽しみ方をしている。
またPrimusのレス・クレイプールとは高校時代からの友人である。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年版では第11位にランクイン。(2011年版では削除された・・・)
また古いホラー映画とアニメ、特撮が好きで様々なコレクションを集めており、日本の作品にも精通している。(特に『デビルマン』が好きだそうだ。)
ロバート・トゥルージロ
4代目ベーシスト。
オジー・オズボーンのバンドやスーサイダル・テンデンシーを経て2003年にMetallicaに加入。
ツーフィンガーでテンポの速い曲に対応できるなどのテクニックも持ち、元々ファンクやジャズ音楽に精通していたためスラップ奏法も出来るがMetallicaに加入してい以降はやっていない。
ベースの神様とも呼ばれるジャコ・パストリアスを崇拝している。
元メンバー
デイヴ・ムステイン
初代リードギタリスト。
ラーズが地元新聞に掲載したバンド募集の広告をみて連絡をとり、Metallicaに加入。
卓越したテクニックと作曲能力でバンドに大きく貢献したものの、プライベートではドラッグやアルコールなどの問題を抱えていた。
1983年にMetallicaはメガフォースと契約を結び1stアルバムのレコーディングをしにニューヨークへと向かう。
だがニューヨークに到着後、他のメンバーがデイヴに解雇を通知、荷物をまとめさせて無理やりロサンゼルス行のバスへと押し込んだ。
デイヴ曰くこの出来事は「親の死より辛い出来事」と語っている。
ロサンゼルスに帰ったデイヴは「Metallicaを超えるバンドを作る!」と決意し、Megadeathを結成。(※近いうちにMegadeathの紹介もする。)
MegadeathはMetallicaに次ぐスラッシュメタルバンドへと成長する!
2010年にデイヴはMetallicaのメンバーと共演し、長年にわたって確執のあったメタリカのメンバーとも和解した。
ロン・マクガウニー
初代ベーシスト。
ジェイムズの幼馴染。
元々ジェイムズもラーズも富裕層であったが、その中でもロンは突出して金持ちで彼の両親が所有していたマンションをスタジオ兼宿泊施設代わりにしてバンド活動を行っていた。
しかしそれゆえジェイムズもラーズもロンを財布代わりに扱うことも少なくなかった。
特にデイヴ・ムステインは貧困層出身のため、親に甘えまくっているロンを毛嫌いし嫌がらせを行うようになる。
結果ロンはこのような扱いに対する屈辱に耐えかねてバンドを脱退する。
彼も長年Metallicaとの確執に会ったが、2011年に行われたMetallica結成30周年記念ライブに呼ばれて現Metallicaのメンバーと演奏を行った。
それ以降今でもメンバーと仲良くしていると語っている。
クリフ・バートン
2代目ベーシスト。
テクニカルでメロディアス、枠にとらわれないベースプレイをすることから「ベースのジミヘン」と呼ばれていた。
元々トラウマというバンドのベーシストであったが、彼の演奏を聞いたジェイムズとラーズが一目ぼれしてすぐにスカウトした。
クリフはこの誘いを受けて「君たちがサンフランシスコに引っ越してくれるなら加入する。」といい当時のMetallicaのメンバーはサンフランシスコに引っ越した。
彼は演奏だけでなく作曲に関する能力も高かった。
クリフはメンバーの中で唯一クラシックに関する素養があったため、それまで勢い先行のMetallicaの音楽に叙情的なニュアンスや複雑な構成を導入した。
その結果Metallicaは急成長を遂げる。
だが1986年9月27日、Metallicaはライブツアーでスウェーデンに訪れていたがツアーバスが事故を起こす。
他のメンバーは軽症で済んだものの、クリフは窓から投げ出され、バスの下敷きとなり、即死した。
享年24歳という若さであった。
彼の死後もその業績が高く評価されており、2020年にローリングストーン誌が発表した「史上最高のベーシスト50選」において25位に選ばれている。
ジェイソン・ニューステッド
3代目ベーシスト。
クリフとは対照的なピックを使ったプレイスタイルが特徴的。
前述のクリフの死後、残ったメンバーは新たなベーシストのオーディションを始める。
結果フロットサム・アンド・ジェットサムというバンドで活躍していたベーシストのジェイソン・ニューステッドが加入する。
ジェイソンは憧れのMetallicaに加入したこともあり喜んでいたが、他のメンバーたちはまだクリフの死から立ち直れていなかった。
そのため他のメンバーはジェイソンに嫌がらせをするようになる。
最もその嫌がらせが顕著なのはジェイソン加入後に製作されたアルバム『…And Justice For All』ではほとんどベースの音が聞こえなかった。
このことを批評家やファンに指摘されて以降、次のアルバムではベースの音が聞こえるようになる。
しかし2001年にジェイソンはMetallicaを脱退。
理由はジェイソンが行っていたサイドプロジェクトにジェイムズが批判したことであった。
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