たった2年半の活動でパンク史上最も影響力のあるバンドとなったレジェンド!!
Sex Pistols(セックス・ピストルズ)なんてもはや説明不要のレジェンドだし、ここで紹介しなくても他のサイトでもいっぱい紹介しているところがあるので改めて紹介する必要はあるのか?
でもThe DamnedやThe Clashをこのブログで紹介しているのにSex Pistolsはしないのもなんだかむずがゆい気持ちになるので紹介することにした。
Sex Pistols(セックス・ピストルズ)の一番の功績を考えるとやはりイギリスの社会風潮の破壊と再構築だと思う。
1970年代、イギリスは大不況時代であり失業率の増加と物価高で良い時代とは言えなかった。
さらに保安局も現代よりより厳しく世間を取り締まっていた状況であり、当時の若者にとって生きづらさや閉塞感というものが想像を絶するものだったと思う。
そんな最中Sex Pistolsが現れた。
彼らは安全ピンや、髪をツンツンに立てるといった奇抜なファッションでシンプルかつ技術度外視の演奏、イギリス政府・イギリス王室のような体制や権威をこき下ろした。
イギリスの若者たちは彼らに夢中になった。
たった2年半の活動期間で彼らはイギリスの音楽シーンはおろか、社会風潮までも変えてしまった!
労働者階級の若者でも行動を起こせば社会を変えられるかもしれない...その姿勢が多くの人々を惹きつけた!
そんな彼らの音楽について紹介する!!
メンバー
ジョニー・ロットン
ボーカル。
本名はジョン・ライドン。しかしギタリストのスティーブ・ジョーンズに「お前の歯が腐っている」と指摘されたことからジョニー・ロットン(腐れのジョニー)と呼ばれるようになった。
反抗的で不良のようなスタイルとは裏腹に過激かつ知的な政府・体制批判をすることからカリスマ的な存在として扱われていた。
また彼の睨むつけるような眼差しは彼が7歳の頃発症した髄膜炎の後遺症であり、睨むようにしないと目の焦点が合わないからだそうだ。(またこの髄膜炎によりジョニーは昏睡状態になり、回復した時も重度の記憶喪失になり学校の勉強がかなり遅れたという不運もある。)
セックスピストルズの立場上古めのロックを好まなさそうなイメージがあるが、ジョニーはピンクフロイドやザ・キンクスなどのファンである。
また多くの女性ミュージシャンと仲が良く、特にシンディ・ローパーと仲が良い。
セックスピストルズ解散後は、ポストパンクバンドであるパブリック・イメージ・リミテッド(略称はPIL)を結成しより高度な音楽を追求することとなった。
現在ではタレント活動も行っているため、当時に比べて温和な人物となっている。
2002年、BBCが行った歴史上「100名の最も偉大な英国人」投票にて第87位にランクイン。
「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」(2007年)において第14位にランクイン。
スティーブ・ジョーンズ
ギタリスト。
元々は不良少年でポール・クックとつるんで、ブティック「セックス」にたむろしていた。
そのときブティック「セックス」のオーナーのマルコム・マクラーレンがバンドを作ってプロデュースしたいという話にのり、セックスピストルズの前身バンド「スワンカーズ」を結成した。
また彼自身はギターの技術の上達が早かったことやロッド・スチュアートやスモールフェイセズのようなバンドが好きであったことから徐々にセックスピストルズの方向性に疑問を持つことがあった。
セックスピストルズ解散後も音楽活動を続けており、1996年にはニューロティック・アウトサイダーズというGuns N’ Rosesのダフ・マッケイガンやマット・ソーラム、Duran Duranのジョン・タイラーなどが参加しているスーパーユニットにも参加している。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」2011年版において97位に選ばれている。
ポール・クック
ドラマー。
彼も元々不良少年でスティーブ・ジョーンズとつるんでいた。
しかし不良とはいっても他のメンバーたちと違い生真面目な物静かな性格。
またマルコム・マクラーレンは彼のそのような性格を買ってドラマーに抜擢した。
セックスピストルズが軌道になるまで彼は電気技師になるために何度もバンドを脱退しようとしていた。
彼もスティーブ・ジョーンズと同様にロッド・スチュアートやスモールフェイセズのようなバンドが好きであった。
現在も音楽活動をしている。
グレン・マトロック
初代ベーシスト。
元々マルコム・マクラーレンが経営していたブティック「セックス」の店員であったが、彼のプロジェクトに誘われた結果セックスピストルズのメンバーとなった。
作曲の要であり、1stアルバムに収録されている12曲の内10曲を彼が作曲したと言われている。
しかしその後1977年にバンドを脱退。
彼の脱退理由は「ビートルズのファンであったから」と言われているが、実はこれは誤りでありグレンは元々モッズバンドに興味がありそのような音楽を追求するためにバンドを脱退したのが真実である。
彼の作曲能力や演奏能力は定評があり、セックスピストルズを脱退したあとThe ClashやThe Jamなど著名なバンドから誘いを受けていたが、彼は悩んだ末両方とも断っている。
その後はThe Damnedやイギーポップ、フェイシズの作品に参加するなど精力的に活動を続けている。
シド・ヴィシャス
2代目のベーシスト。
パンクと言うジャンルの破天荒さとその虚しさを伝え続ける象徴的存在!
本名はジョン・サイモン・リッチーといい、ジョニー・ロットンとは学生時代からの友人であり元々セックスピストルズのファンであった。
ジョニーの推薦とマルコム・マクラーレンの後押しによりシドはセックスピストルズに加入したが、彼はベースを一切弾いたことがなかった。
それゆえ彼はベースを演奏できないのにステージに立っていたという流説があるが、彼がしっかりベースを演奏している映像はいくつか残っている。
彼は演奏よりもベースで観客を殴ったり、自分の身体をナイフで切りつけたりする過激すぎるライブパフォーマンスが有名で、このパフォーマンスがさらにセックスピストルズの名を有名にした。
しかし彼は重度なドラッグ中毒者であり、ステージに立つのがやっとな状態が多かった。
セックスピストルズ解散後はフランク・シナトラの『My Way』のカバーやエディ・コクランの『Something Else』・『Come Everybody』などのカバーをリリースするがやはりドラッグ問題で継続的に音楽活動をするのは困難であった。
そして悲劇が起きる。
1978年10月13日には、ニューヨークのチェルシーホテルのバスルームでシドの恋人のナンシー・スパンゲンの死体が発見された。
凶器のナイフがシドの所有物であったことから、麻薬で錯乱したシド自身が刺殺したと言われていたが、ナイフの指紋が拭き取られていたことやシドの元に入ったばかりの印税2万ドルが全て無くなっていたこともあり彼以外の犯行の可能性が高い。(真相はいまだ不明)
その後一時逮捕されていたシドであるが、レコード会社が多額の金を払い保釈された。
だがシドはそれ以降自殺未遂を繰り返すようになり、1979年2月2日、遂に麻薬の過剰摂取により死亡した。
享年21歳という若さでこの世を去った・・・
マルコム・マクラーレン
セックスピストルズのマネージャーであり、バンドの仕掛け人。
彼は元々ファッションデザイナーであり、1971年にイギリスにフィフティーズ調ファッションのブティック「Let It Rock」を開店した。
その後1974年に渡米しニューヨーク・ドールズと言うバンドに惚れて、自らマネージャーになりたいと申し出てマネージャーを務めた。だがすぐにニューヨーク・ドールズは解散してしまう。
だがこの時の経験からマルコムはニューヨーク・ドールズのようなパンクバンドをイギリスで作りたいという願望を持つ。
1975年にイギリスに戻り「Let It Rock」というブティックを「セックス」に改める。
このとき店にたむろしていた不良少年のスティーブやポールと店員のグレンを誘い、「スワンカーズ」というバンドを結成させる。
その後近所の不良グループのリーダー格であったジョニー・ロットンをオーディションを経て加入させて、バンド名を「スワンカーズ」から「セックスピストルズ」にした。
彼はセックスピストルズの仕掛け人であり、イギリスのパンクロックブームの仕掛け人でもあるのだ。
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