グラムロックの先駆者であり多種多様な芸術を取り入れつづけるアーティスト、その正体は地球に落ちて来た男!?
デヴィッド・ボウイを知ったきっかけはQueenとデヴィッド・ボウイの合作曲「Under Pressure」であった。
またうちの母親がデヴィッド・ボウイの大ファンだったこともあり、当時のファンの声をリアルに聞くことも出来た。
しかしそれも彼を知るには少ししか参考にならない情報でしかなく、母親から聞いた情報は彼の世界的スター時代(1980年代前半)であり、彼のほんの一部でしかない。
なぜならデヴィッド・ボウイは芸術家としてのキャパシティがデカすぎる!!
まるで宇宙が現在進行形で大きくなっていくように、彼の音楽性・芸術性・ビジュアル・思想は絶えず変化していったのだ。そのため一時代の彼の姿を一概にデヴィッド・ボウイとして説明することが出来ないのだ。
音楽性が絶えず変わると聞いて、彼がアーティストとしての芯がないのかと疑う人もいるかもしれないが断じてそうではない。
彼は進化・自己の再発明のアイコンなのだ!
70年代以前のロック界隈のスターたちは自分たちのスタイルを確立すればそこから動かないし、ロックの支持者も変わらないことを望んでいた。
ただデヴィッド・ボウイの場合は一つの音楽ジャンルでは自己表現しきれないほどの大きな創作意欲と柔軟性ゆえに多種多様の音楽を生涯作り続けたのだ。
そんな創作スタイルだからこそ世界的ヒットも商業的大失敗も経験している。
だがデヴィッド・ボウイは成功失敗に関わらず第一線でアートとしてのロックを追求し続けた偉大なアーティストであることを、彼の楽曲と共に紹介したいとも思う。
おすすめ曲
Space Oddity
2ndアルバム『Space Oddity』、収録曲でシングルカット曲。
デヴィッド・ボウイのキャリア初のシングルヒット曲であり、「デヴィッド・ボウイ=宇宙」というイメージを作るきっかけとなった曲。
このシングル発売時1969年はアポロ11号の月面着陸や映画『2001年宇宙の旅』など大衆の関心が宇宙に向けられていた時代であった。
そのような時代背景で作曲された曲であるが、ただ宇宙のこと歌っているわけでなく架空の宇宙飛行士トム少佐というキャラクターを介して宇宙と人間の感情を表現した。
UKシングルチャートで5位を記録!
The Man Who Sold The World
3rdアルバム『The Man Who Sold The World』、収録曲でシングルカット曲。
1970年にリリースされたこの曲はダークなカントリーソングって印象を受ける曲であるのと同時に、歌詞の内容が難解で大衆の理解が遅れた名曲でもある。
世界を売った男(The Man Who Sold The World)の世界とはデヴィッド・ボウイ曰く自分の私生活や人格のことを言っており、ロックスターになることでそれらを失ったことを表現していた。
このテーマに大衆の理解が追い付いたのは1993年のMTVアンプラグドでNirvanaがこの曲をカバーしたのがきっかけであった。
煌びやかでアーティスティックなロックスターであるデヴィッド・ボウイが歌うより、どこか儚く影のあるロックスターのカート・コバーンが歌うことでスターであるゆえの苦悩が伝わったと思う。
このカバーにより「The Man Who Sold The World」は再評価され、デヴィッド・ボウイの最高傑作の一つにあげる人が多い。
Life On Mars?
4thアルバム『Hunky Dory』、収録曲でシングルカット曲。
壮大なバラードロックソングであり、デヴィッド・ボウイ曰くフランク・シナトラの「My Way」のパロディとして制作された楽曲。
クラシックさながらの壮大なストレングスがありタイトルに「Mars(火星)」とあるから、SF的壮大さを歌っているように思えるが歌詞を見ると違う。
歌詞の中ではねずみ色の髪の女の子が度々くだらないヒット映画を見て大袈裟に反応して「火星に生き物はいるの?!」と聞いてくるという内容。
デヴィッド・ボウイがこの曲について上記のような内容を歌ったことに踏まえて「彼女は現実に失望していると思う。現実の憂鬱な状況で生きているにもかかわらず、どこかに素晴らしい人生があると聞かされ、そんな人生を見つけられないことに更に失望している。」と語った。(脚注:The Complete David Bowie: New Edition: Expanded and Updated (English Edition))
おそらく現代社会でも似たような境遇にいる人が多い普遍的な悲しみを歌った曲であった。
この楽曲は業界内でも評価が特に高く、バーブラ・ストライサンドやNine Inch Nails、Lorde、YougBloodなど幅広い世代のアーティストたちにカバーされている。
NMEはこの楽曲を「NMEが選ぶデヴィッド・ボウイの究極の名曲1〜40位」の2位に選んでいる。
Starman
5thアルバム『ジギー・スターダスト』、収録曲でシングルカット曲。
5thアルバム『ジギー・スターダスト』は「5年後に迫る資源枯渇を原因とする人類滅亡の危機に、救世主として異星より来たロックスター『ジギー・スターダスト』の物語」というコンセプトアルバム。
『Starman』は上記のジギー・スターダストがラジオで「異星人の『スターマン』が地球に訪れてみんなを助けてくれる」と若者たちに伝えるという内容。
ミステリアスでSF的でポジティブな楽曲。
デヴィッド・ボウイ曰くこの曲は映画『オズの魔法使い』(1939年公開)の劇中歌『Over the Rainbow』からインスピレーションを受けた曲だと語っている。
この曲の後世への影響力は凄まじく、上にある動画はイギリスの音楽番組『Top Of The Pops』で放送されたライブ映像であり、多くの著名なミュージシャンたちがデヴィッド・ボウイを語る上でこの映像に言及している。
The Cureのロバート・スミス、Depeche Modeのデイヴ・カーン、Duran Duranのジョン・テイラーとニック・ローズ、The Smithsのモリッシーとジョニー・マー、Siouxsie And The Bansheesのスージー・スー、Oasisのノエル・ギャラガーなど枚挙にいとまがない。
特にU2のボノは「異星人が地球に降りてきたようだった」と当時の映像について語っている。
楽曲から歌詞、その強烈で華やかなヴィジュアルはロック史における特異点を記録した映像として業界内で特別視されている。
Ziggy Stardust
5thアルバム『ジギー・スターダスト』、収録曲でシングルカット曲。
この楽曲は異星より来たロックスター『ジギー・スターダスト』の誕生から死までの年表を歌にしている。
このジギー・スターダストというキャラクターは3人の人物からインスピレーションを受けて作られたものである。
1人目はイギリスのソロシンガーのヴィンス・テイラー。彼は1950年代後半から1960年代まで活躍したロックンロール歌手であるが予測不能な性格であり、「俺は神と宇宙人の混血」と自称していた。
2人目はアメリカのアウトサイダーパフォーマーのレジェンダリー・スターダスト・カウボーイ。彼はテキサス州出身で宇宙と西部劇に強い関心を持つことから、それらについての楽曲を多く発表してデヴィッド・ボウイに多大な影響を与えた。
3人目は日本のファッションデザイナーの山本寛斎、1971年にロンドンで日本人デザイナーとして初めてファッションショーを開催した際にデヴィッド・ボウイと交流。山本寛斎の奇抜なデザインはまさしく地球外のキャラクターを演じるのに必要不可欠な要素であった。
このジギー・スターダストというキャラクターを前面に押し出した楽曲はデヴィッド・ボウイを語る上でも重要な役割を果たし、アルバム内でもかなり人気の高い曲である。
The Jean Genie
6thアルバム『Aladdin Sane』、収録曲でシングルカット曲。
デヴィッド・ボウイが初の本格的なアメリカツアー中に作成したシングルであり、本人曰く「想像上のアメリカの寄せ集め」であり盟友イギー・ポップから影響を受けた曲と言っている。
ブルースチックなギターリフが特徴的で、ジーン・ジニー(Jean Genie)という人のとりとめのない行動をについて歌っている。(ジーン・ジニーのモデルがイギー・ポップだと言われている。)
レコーディングに参加したベーシストのトレバー・ボルダー曰く、この曲は1時間30分ほどでレコーディングを終えたらしい。
UKシングルチャートで2位を記録!
Heroes
12thアルバム『Heros』、収録曲でシングルカット曲。
デヴィッド・ボウイの曲の中でも特に影響力があり人気の高い楽曲!
歌詞は東ベルリンと西ベルリンに住む恋人同士の物語で、大きな壁に隔てられているけど1日だけでも英雄になれるし人生を変える可能性を持っているという淡い希望を歌ったもの。
曲名はHeroesであるが前向きな賛歌ではなく、大きな障害に対して現実的に向き合う姿勢を歌っている。(当時はベルリンの壁の崩壊など想像できなかったため、大きな障害の象徴であった。)
この楽曲ではKing Crimsonのロバート・フリップがギターで参加しており、サウンドスケープ的な役割を果たしているロングトーンのギターサウンドに注目してほしい。
そのギターサウンドは無限に広がるようでどこか崩れてしまいそうな脆さがあり、楽曲の歌詞のような儚い希望のようで感傷的になる。
NMEはこの楽曲を「NMEが選ぶデヴィッド・ボウイの究極の名曲1〜40位」の1位に選んでいる。
Let’s Dance
15thアルバム『Let’s Dance』、収録曲でシングルカット曲。
デヴィッド・ボウイのキャリアの中で最も売れた楽曲。
1983年にデヴィッド・ボウイはChicのギタリストナイル・ロジャースをプロデューサーとして起用。
デヴィッド・ボウイは以前のようなアートロック志向の楽曲を希望したが、ナイル・ロジャースの提案でヒット曲を作ることに決める。
そこで従来のロックにファンクやディスコサウンド、ブルースなどを取り入れたダンスロックともいえる楽曲「Let’s Dance」を完成させた。
ギタリストは上記のナイル・ロジャースの他にまだ無名の天才ブルースギタリストのスティーヴィー・レイ・ヴォーンも参加している。
ただのダンスロックではなくMVではオーストラリアを舞台にアボリジニのカップルが西洋文化に翻弄される様を描いている社会的な内容になっている。
また当時のMTVはマイノリティーが出演するMVを放映しない傾向にあったため、このアボリジニを出演させたMVはかなり革新的であった。(同時期のマイケル・ジャクソンの「Beat it」のMVの大ヒットにより、MTVは徐々にマイノリティのいるMVを放送するようになった。)、
UKシングルチャート・USビルボードHot100で1位を記録!
Lazarus
28thアルバム『Blackstar』、収録曲でシングルカット曲。
Lazarus(ラザロ)とは聖書に出てくるラザロ聖のことで、ラザロ聖はキリストの友人であったが病死してしまう。訃報を聞いたキリストはラザロ聖の墓の前に行き「ラザロ、出てきなさい」というと、死んだはずのラザロが布にまかれて出てきたという。
またデヴィッド・ボウイやプロデューサーのトニー・ヴィスコンティはこの曲はSwans Song(白鳥の歌)的な楽曲と言っており、白鳥の歌とは人が亡くなる直前に人生で最高の作品を残すこと、またその作品を表す言葉である。(西洋の言い伝えで白鳥は死ぬ時に美しい声で鳴くと言われているため。)
このアルバム制作中にデヴィッド・ボウイは肝癌を患っており、自分の死期というものを悟っていた状況でレコーディングに臨んでいた。
またこの曲のMVの撮影は担当医から末期ガンであり治療しようがないことを告げられた週に行われていた。
MVではデヴィッド・ボウイがラザロ聖のように顔に布を巻いて病床に伏してる様子が描かれている。
死というものを扱うため暗いMVになっているが、歌詞の中にある「I’ve got drama, can’t be stolen. Everybody knows me now.(俺には誰にも奪えないドラマがある。みんなが今の俺を知っている)」というのがポジティブで大好きだ。
彼がロックスターとして生きてきた自負と築き上げてきた功績に対して誇りに思っていたことが感じ取れる。
次のページではおすすめアルバムを紹介!!
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