パンク・レゲエ・ジャズを融合させた超技巧派3人組!!
1970年代後半イギリス、当時イギリスではパンクロック・ムーブメントの真っ只中。
暴れる20代前後の若者たちがテクニック度外視の演奏で世間を盛り上げていた一方...
それらとは真逆の音楽をしていた3人が1977年にバンド「The Police」を結成した。
ボーカル/ベースは小学校の国語の教師をしながらジャズバンドに参加していた26歳男、スティング。
ドラムはプレグレバンド「カーブド・エア」に在籍していた技巧派ドラマー25歳、スチュワート・コープランド。
ギターはソフト・マシーンやアニマルズなどの有名バンドでプレイしたことがある技巧派ギタリスト35歳、アンディ・サマーズ。
彼らの卓越した演奏力とパンク・レゲエ・ジャズが融合した独自の音楽によって、たった6年間の活動期間で世界の頂点に立つことになった!
そんな彼らの軌跡をバンドの名曲と共に紹介する。
メンバー
スティング
ボーカル/ベーシスト。
本名はゴードン・マシュー・トーマス・サムナー。
スティングというのは彼がポリス結成前に蜂を連想させる黄色と黒の縞の上着を愛用していたことから名づけられた。
ポリスを結成する前までは、小学校の国語の教師をしながら地元のジャズバンドに参加していた。
彼はポリス活動休止後もソロでバリバリ活躍しており、ポリス在籍時とソロのときとでグラミー賞を17個も獲得している!
そのためベーシストとしてポール・マッカートニーに次ぐ「世界で2番目に資産を持っているベーシスト」である。(推定総額約311億円)
また俳優としても活動しており
- 『さらば青春の光』(1979年)
- 『デューン/砂の惑星』(1984年)
- 『バロン』(1988年)
- 『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』(1998年)
などの有名映画に出演している。
スチュワート・コープランド
ドラマー。イギリス育ちであるがアメリカ人。
ポリスに在籍する前は「カーヴド・エア」というプログレッシブロックバンドでプレイしていた。
「カーヴド・エア」の解散ツアーの最中、偶然スチュワートがスティングのプレイを目にし一目ぼれ!
スチュワートが何度も説得した結果、ポリスを結成することが出来た!
スチュワートのドラムプレイは業界内でも随一であり、数が多いのにもかかわらず曲に彩りを与え歌を引き立たせる独自のドラムスタイルが持ち味である。
また複雑なリズムを叩きながら、コーラスを歌うことも出来る。
2010年の「ローリング・ストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のドラマー」において第7位に選ばれている。
アンディ・サマーズ
ギタリスト。
10代のころからセッションギタリストとして活躍しており、マジェスティック・ホテルのバンドの専属ジャズギタリストとして活動を始め、アニマルズやソフト・マシーンでも活動していた。
しかし1970年代に入るとアンディは音楽活動を休止し、カリフォルニア州立大学ノースリッジ校で音楽を学びなおす。
その後1977年にポリスに参加する。
当時のパンクロックシーンにはなかった分散和音の使用、またディレイやコーラスなどのエフェクターを効果的に用いた彼の演奏はポリスの要の1つともなりバンドは大成功を収める。
2011年に「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において第85位に選ばれている。
おすすめ楽曲
Roxanne
1stアルバム『Outlandos d’Amour』収録曲、シングルカット曲。
娼婦に恋をする男について描いた楽曲。
スティングがフランスのライブハウスで見かけた娼婦とホテルの古いポスターからインスピレーションを受けて書いたと言われている。
タンゴのリズムを意識している斬新なアレンジがされている。(スチュワート・コープランドのアイディア)
この曲は娼婦のことを歌っているという理由でイギリスでは放送禁止の曲であった!
UKシングルチャートで12位を記録。
USビルボードホットチャートで32位を記録。
批評家人気が高くローリング・ストーン誌が選ぶ「オールタイムベストソング500」(2004年版)にて388位にランクイン!
So Lonely
1stアルバム『Outlandos d’Amour』収録曲、シングルカット曲。
ポリスの中でもかなりポップの曲であるが、歌詞の内容はかなり暗い。
スティング曰く、ボブ・マーリーの名曲『No Woman No Cry』をベースに作曲したと語っている。
曲のはじめは完全にレゲエ調であるが、サビではポップパンクのようなメロディが楽しめる!
またこの曲のPVの撮影は東京の地下鉄・都営浅草線、また香港へツアーへ行ったにゲリラ的に行われた。
UKシングルチャートで6位を記録。
Message In A Bottle
2ndアルバム『Reggatta de Blanc』収録曲、シングルカット曲。
かなり印象的なギターリフから始めるポリスの代表曲!!
曲の内容は”人間は誰しも孤独に苦しんでいる”というもの。
曲の主人公は大都会という名の孤独な島に住み、その孤独に耐えられなくなって、メッセージを発信。
1年後、彼の出したメッセージと同じようなビンが千億本も浜辺に打ち上げられていた、という話…。
スティングも「曲のメロディと内容が一番まとまっている」と気に入っていた。
またアンディ・サマーズがポリスで最高の楽曲であると彼の自伝で語っている。
UKシングルチャートで1位を記録。
USビルボードホットチャートで74位を記録。
De Do Do Do, De Da Da Da
2ndアルバム『Zenyatta Mondatta』収録曲、シングルカット曲。
このタイトルの「De Do Do Do, De Da Da Da」とはスティングの息子ジョセフが発した意味不明な言葉のこと。
しかしこの曲は「シンプルなものがどれほど力強いか」を表現した曲だとスティングが語っている。
またポリスの2度目の日本公演に伴い、「来日記念盤」と銘打って歌詞が日本語になったヴァージョンの「De Do Do Do, De Da Da Da」を発売した!!
UKシングルチャートで5位を記録。
USビルボードホットチャートで10位を記録。
Don’t Stand So Close To Me
2ndアルバム『Zenyatta Mondatta』収録曲、シングルカット曲。
邦題は『高校教師』。
楽曲の歌詞は先生が生徒と性的にな関係になるというスキャンダラスな内容。
この曲を作曲したスティングは元小学校の教師であるが、教育実習は高校で受けていたためその時の経験を生かして歌詞を書いていた。(※スティングが生徒に手を出したわけでない!)
UKシングルチャートで1位を記録。
USビルボードホットチャートで10位を記録。
またこの曲は1982年グラミー賞で最優秀ロックパフォーマンス賞を受賞した。
Every Breath You Take
5thアルバム『Synchronicity』収録曲、シングルカット曲。
ポリスの代表曲であり、バンド史上一番商業的に成功したシングル。
この曲は純粋なラブソングであり、「天使、親、もしくは親切な人々が、相手を思って見守っている」という意味だと思われてきたが違った!!
本当はストーカーの気持ちを描いた歌である!
またスティングが自身の結婚生活の破綻と政府による監視と管理を元に作曲したことを公言している。
しかし楽曲が美しいあまりリスナーたちは長年ラブソングだと勘違いしていた!
UKシングルチャートで4週間連続1位を記録。
USビルボードホットチャートで9週間連続1位を記録。
また1983年のグラミー賞にて、最優秀楽曲賞・最優秀ポップ・デュオ/グループを獲得した!
批評家人気が高くローリング・ストーン誌が選ぶ「オールタイムベストソング500」(2011年版)にて84位にランクイン!
おすすめアルバム
『Reggatta de Blanc』(2ndアルバム/1979年)
自分たちの音楽をホワイトレゲエと名乗り、初めて全英チャートで1位となったアルバム!
このタイトルのフランス語『Reggatta de Blanc』 とは白のレゲエ(白人のレゲエ)という意味。
このアルバムからシングルカットされた「Message in a bottle」と「Walking on the Moon」は両方とも全英1位を獲得した!
またアルバムタイトルと同じ曲名の「Reggatta de Blanc」は1980年のグラミー賞の最優秀インストゥルメンタルロック部門を受賞した!
『ローリング・ストーン誌が選ぶオールタイム・グレイテスト・アルバム500』に於いて、372位にランクインした。
『Zenyatta Mondatta』(3rdアルバム/1980年)
レゲエ×パンクの集大成的アルバムかつポップさが現れた名盤!!
このタイトルの『Zenyatta Mondatta(ゼニヤッタ・モンダッタ)』というのはポリスによる造語。
「禅」と「ジョモ・ケニヤッタ(ケニアの元大統領)」と「ル・モンド(フランス語で『世界』)」と「レガッタ(フランス語で『レゲエ』)」 を組み合わせたものであった。
世界ツアー中という多忙な時期であるのにも関わらず、4週間で完成させたアルバム。
そのためアルバムの中で出来に納得のいかない曲が2つ(「Don’t Stand So Close To Me」・「De Do Do Do, De Da Da Da」)あり、1986年に再録音版のシングルを出している。
しかしアルバムは商業的成功を収め、アルバムからシングルカットされた「Don’t Stand So Close To Me」・「De Do Do Do, De Da Da Da」は2つともUKシングルチャートで1位を記録した!
UKアルバムチャートでは1位を記録。
USビルボードチャートでは5位を記録した!
『Synchronicity』(5thアルバム/1983年)
バンドのラストアルバムにして彼らの集大成!全米・全英で1位に輝いた名盤!!
皮肉にもこのアルバムのレコーディング期間は、バンドのメンバー間の関係はかなり悪かった。
アンディ・サマーズは当時のことを「スティングは北極、自分は南極、スチュワートは熱帯にいるようだった。」と語っていた。
またスティングも自身の離婚のトラウマからスイスで心理学療法をうけており、その療法の名前がシンクロニシティであったためアルバム名として採用した!
しかしこのアルバムは世界で1000万枚以上の売り上げを記録した。
『ローリング・ストーン誌が選ぶオールタイム・グレイテスト・アルバム500』に於いて、448位にランクインした。
UKアルバムチャートでは1位を記録。
USビルボードチャートでは1位を記録した!
間違いなくポリスが世界の頂点にたった瞬間であった!
1984年のグラミー賞で最優秀ロック・パフォーマンス部門を受賞した!!
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