サザンヒップホップ出身、ヒップホップ史上最も革新的かつクリエイティブなヒップホップデュオ!!
ヒップホップの特徴はその地域の文化によって変わるものであり、主にニューヨークを拠点とするイーストコースト・ラップと主にロサンゼルスを拠点とするウエストコースト・ラップに分かれてる。
90年代までこの2つの勢力が台頭し、対立、ついには殺し合いにまで発展することにもなった...
そんな激動の時代にアトランタ・ニューオーリンズを拠点としたサザンヒップホップが徐々に盛り上がりを見せていた。
このジャンルを全米に轟かせたヒップホップグループこそOutKast(アウトキャスト)!!
OutKastはアンドレ・3000とビッグ・ボーイによるヒップホップデュオ。
2人は高校時代に出会い、当時はお互いライバル視していたラッパー同士であった。
しかし裏を返すと互いの才能を認め合っていたので、その後2人は意気投合!
二人はユニットを組んだ瞬間から破竹の勢いで1994年にデビューし、活動休止する2006年までアメリカのヒップホップシーンの前線で活躍し続け、サザンヒップホップを世界に認知させるきっかけとなった。
彼らの最大の魅力は多種多様かつ変幻自在な音楽性とそれを可能にする確かな技術!!
彼らはファンクやジャズなどの王道のトラックはもちろん、サイケデリックやテクノやドラムンベースなど斬新なトラック・ビートを取り入れた。
それに加えてアンドレ・3000の書く複雑で叙情的なリリックはファンと批評家両方から高い評価を得た!
またビッグ・ボーイの正統派ラップスタイルの完成度の高さはアンドレ・3000の作る高度な音楽を100%以上再現する。
このようなスーパーコンビの偉業を彼らの音楽と共に紹介!!
メンバー
アンドレ・3000
本名はアンドレ・ベンジャミン。
OutKastの複雑な楽曲構成や叙情的な歌詞は彼の力によるものが大きい。
幼少時代は貧困層の住む街で育っていたが、母の勧めで白人が多く通う中学校へ行っていたため様々な音楽に触れる機会があった。
これら経験からアンドレ・3000の幅広い音楽性が培われていた。
高校は芸術系スクール「Tri-Cities High School」に入学しヒップホップに本格的にハマり、毎晩夜遅くまでリリック(詩)を書き続けていた。もし書くノートや紙が足りなくなったら、壁やトイレットペーパーにリリックを書き留めるレベルで没頭していた。
高校では昼休みにラップバトルをすることがよくあり、そのときのライバルが後の相棒、ビッグ・ボーイであった。
彼の作る楽曲はウエストコースト(ファンク色が強い)にもイーストコースト(ジャズ色が強い)にもない音楽性、サイケデリックやトリップホップなど音色を意識したスタイル「サザンヒップホップ」を確立させた!
彼はラキムやA Tribe Called Questから強い影響を受けている。
2006年に彼は俳優としてのキャリアを追求するためOutKastの活動を休止した。
しかし活動休止後も相棒ビッグ・ボーイのソロ作品に参加したり、ビヨンセやドレイク、Jay-Zなどの大物アーティストとコラボしている。
2015年にビルボードが発表した「史上最高のラッパーベスト10」にて第6位にランクイン!
メディアサイトComplexが選ぶ「2000年代の最高のラッパーベスト100」にて第10位にランクイン。
ビッグ・ボーイ
本名はアントワン・アンドレ・パットン。
従来のヒップホップとは違う型破りな作風のアンドレ・3000に比べて、彼は王道のヒップホップスタイルを得意とする。
作曲に関してはアンドレ・3000が担当していたが、プレイヤーとしてはビッグ・ボーイの技術力が高いためライブでも前に出ることが多かった。
彼も貧困層出身であったが、昔から商才があったことをビッグ・ボーイの妹が彼らのドキュメンタリーの中で公言している。
妹曰く、ビッグ・ボーイは小学生の頃安いお菓子を大量に買って「キャンディパーティ」を開き、近所の子供たちを招いて「お菓子食べ放題」として入場料をとっていた。
またその「キャンディパーティ」でビッグ・ボーイはDJをやるようになったとのこと。
また彼は芸術系スクール「Tri-Cities High School」に入学。
彼は学校の人気者であり人種関係なくたくさんの友達がいたという。
そこで彼はアンドレ・3000と知り合い、ラップのライバルであり友人として付き合うようになりコンビを組んだ。
2006年にOutKastの活動休止後、彼はソロアーティストとして活動し現在でも精力的に活動を続けている。
次のページからおすすめ曲・アルバムを紹介!!
コメント