欧米ではスタジアム級の人気を誇るダークエレクトロポップの旗手
スモール・イン・ジャパン
だいぶ前にRush(ラッシュ)を紹介した時に使った言葉であるが、もう一度説明すると「世界的に有名であるのに日本でのみあまり知られていないバンド」のことを指す。
今回紹介するバンド、Depeche Mode(デペッシュ・モード)はまさにスモール・イン・ジャパンであろう。
Depeche Modeはイングランド出身のニューウェーブ・シンセポップのバンド。
1980年に結成、現在彼らのレコードの総売り上げ数は全世界で1億枚以上!
去年の2020年には”ロックの殿堂入り”も果たしている。
また売り上げ以外での彼らの凄さは、そのUSオルタナティブロック界隈への影響力であると思う。
Depeche Modeは「大衆向けでない大衆音楽」という不思議な矛盾に満ちた音楽を世に放ってきた。
彼らのサウンド、暗くて過激な歌詞、世界観は当時アンダーグラウンドで活動をしていたNine Inch NailsやThe Smashing Pumpkins, マリリン・マンソン, Linkin Parkなどの大物バンドたちに多大な影響を与えてきた。
ダークエレクトロポップというジャンルの開拓者、Depeche Modeの音楽について紹介していきたいと思う。
メンバー
デイヴ・ガーン
バンドのボーカリスト、正式名称はデイヴィッド・ガーン。
艶美なバリトンボイスが特徴的なイギリスを代表するシンガー。
「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第73位。
私生活はバンドメンバーの中でも一番派手であり、3回の結婚と2回の離婚を経験している。
また10代のころからドラッグを常用していたため、ライブツアーでは彼の取り巻きにドラッグの売人がいるという状態だった。
また彼は自殺願望があり、何度か自殺未遂をしていることがニュースにもなった。
特に彼の友人でありバンドメンバーのアラン・ワイルダーの脱退後、デイヴの生活はかなり荒れてしまう。
このとき1996年にデイヴはスピードボール(コカインとヘロイン、モルヒネの混合物)の過剰摂取によって仮死状態になったこともあった。
しかし更生施設に何度も入りリハビリを繰り返した結果、現在は落ち着いて暮らしている。
マーティン・ゴア
ギタリスト兼キーボーディスト。
バンドの楽曲のほとんどの作曲・作詞を担当しているバンドの要。
彼の国際的に音楽界に与えた影響・功績は専門家たちから高く評価され、ヨーロッパで最も影響力のある音楽協会”The Ivors Academy”からアイヴァーノヴェロ賞を与えられた。
90年代彼はアルコール依存症で苦しんでいたが、2000年代に彼はリハビリを繰り返した結果、禁酒に成功している。
また健康上の目的でアンディ・フレッチャーと共に1983年以降、菜食主義を貫いている。
アンディ・フレッチャー
ベーシスト兼キーボーディスト、正式名称はアンドリュー・ジョン・レオナード・フレッチャー 。
フレッチ (Fletch)の愛称で親しまれる。
バンドの要であるマーティン・ゴアの最大の理解者であり、マーティンのメンタルケアという仕事がフレッチの最大の功績であると言われている。
それゆえフレッチは実質「バンドのマネージャーなのでは?」という見解がある。(※しかしマネージャーは別にいる。)
マーティンとは本当に仲が良いが、英国サッカーリーグ”プレミアリーグ”の贔屓チームがフレッチはチェルシーFC、マーティンはそのライバルチームアーセナルFCである。
アラン・ワイルダー
キーボーディストであり、1982年にDepeche Modeに加入。
バンドの黄金期を支えたメンバー。
西ロンドンのアクトン育ちの中流階級出身であり、幼少期からピアノ・フルートなどの音楽教育を受けてきた。
彼の音楽的素養・アレンジ能力の高さによりバンドはよりレベルの高い次元へと進化した。
しかし1995年にバンドを脱退。
理由は度重ねられたツアーでの肉体的・精神的疲労、他のメンバーがドラッグやアルコールに溺れて良いコミュニケーションが取れなくなったことだった。
脱退後、アランはDepeche Mode在籍時から行ってきたソロプロジェクトであるリコイルの活動に専念した。
また彼は脱退後すぐにThe Cureのロバート・スミスから新しいバンドのキーボードとしてスカウトされたが、これを断ってソロプロジェクトに専念した。
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