ポストパンクのレジェンド、後のダンスミュージックやエレクトロニカに多大な影響を与えたバンド
Joy Divisionの音楽の良さを紹介するのは、千鳥の「イカ2貫!?」の面白さを説明するくらい難しい。
「はぁ?」と思ったかもしれないが、そのまま読み進めてほしい。
この両者の共通点は”経緯を正しく理解しないと良さがわからない”ところである。
まず千鳥ノブの「イカ2貫!?」というのは彼らの漫才中で生み出された名ツッコミである。
ボケの大吾がお寿司屋さんをやるが、寿司のネタがチョウチンアンコウの光る部位であったり、ハンマーヘッドシャークの頭だったりおかしなものばかり握る。
おかしなものばかり出していた流れで、大吾は急にイカ2貫を出す。
そのときにノブが「イカ2貫!?」と大声でツッコム。
もっと変なものが出されるだろうという観客たちの予想を見事に裏切ったやり取りだった。
話を戻すとJoy Divisionの存在・音楽は「イカ2貫!?」と同じである。
時代は70年代後半イギリス・ロンドン。
当時セックスピストルズを中心としたパンクロックムーブメントに若者たちが熱狂していた。
このムーブメントによってThe Clash、The Damned 、Jam、Generation Xなど様々な激しいパンクロックバンドが注目されるようになった。
しかしこの流れで現れたJoy Divisionは従来のパンクロックとは異質の音楽をやっていた!
単調なリズム・抑えたような低い歌声・暗い世界観、すべてが新鮮だった。
しかし後追いで彼らの音楽を初めて聞こうとしても、ただの単調な暗い曲という感想しか出てこない。
悔しいことにこの流れを経験していないとJoy Divisionの良さは100パーセントわからない。
僕はリアルタイムでJoy Divisionを聞いていないため、初めて彼らの音楽を聞いたときは全く良さがわからなかった。
でも各音楽雑誌が彼らを絶賛しているため、Joy Divisionの良さがわからないことが悔しくて何度も曲を聴いたり、バンドに関する書籍を読んで理解しようとした。
だから本記事で紹介するJoy Divisionの音楽を初めて聴く人は、一発でこの音楽最高!と思えることはほぼない。
しかしそれはJoy Divisionのせいでもあなたのせいでもなく、時代のせいだと理解してJoy Divisionの音楽を聴いていほしい。
それでは紹介します。
略歴
出会い~結成(1976年~1977年)
1976年6月4日に幼馴染同士のバーナード・サムナーとピーター・フックはセックス・ピストルズのライブを見に行き衝撃を受ける。
それまで二人は楽器を触ったこともなかったが、ライブの翌日二人はバンド組みたくて楽器を買いに行く。
また同じセックス・ピストルズのライブを見ていたテリー・メイソンをドラマーとして誘い、加入。
テリー・メイソンも楽器をやってことがなかったため、誘われた後ドラムを買いに行った。
ボーカルが見つからないため、バンドはマンチェスターのヴァージン・レコードのショップにボーカリストの広告を掲載した。
広告をみたイアン・カーティスは応募し、ボーカリストとして加入。オーディションもなく加入した。
彼らはバンド名「ワルシャワ」と名乗り、活動を開始!
1977年にテリー・メイソンが脱退したため、バンドはドラムを募集する。
するとイアン・カーティスの高校の同級生であるスティーブ・モリスが唯一応募していたため加入する。
バンドは同時期に活動していたバンド「ワルシャワ・パックト」と間違われないようにバンド名を「Joy Division」に改名!
- イアン・カーティス(ボーカル)
- バーナード・サムナー(ギター)
- ピーター・フック(ベース)
- スティーブ・モリス(ドラム)
というラインナップが揃う。
1979年の12月にEP『An Ideal for Living』を製作した。
ブレイク~イアンの黒い影(1978年~1979年)
1978年4月に地元ロンドンで有力な音楽プロデューサーのトニー・ウィルソンとそのマネージャーロブ・グレットンがJoy Divisionに注目し、彼らはバンドのマネージメントを申し出る。
すでにJoy DivisionはRCAレコードと契約していたが、レコード会社に不満を持っていたため申し出を承諾。
同年6月にEP『An Ideal for Living』を改めてリリース。
9月にはテレビ出演をはたす。
バンドは徐々に有名になり、RCAレコードからトニー・ウィルソンがオーナーを務める「ファクトリー・レコード」に移籍した。
1979年4月、1stアルバム『Unknown Pleasures』をリリース。
当時のUKインディーチャートで1位を記録。メジャーのチャートでも5位を記録した。
またこのアルバムはあらゆる音楽誌が絶賛し、バンドは一躍有名になった。
またシングル曲「Transmission」もUKインディーチャートで4位を記録。
バンドの調子はうなぎのぼりであった。
しかしイアン・カーティスはこのころから”てんかん発作”で苦しむようになり、バンドが忙しくなるにつれて病状が悪化した。それ同時に精神的にも追い詰められていったのだった。
終焉~再始動(1980年~)
1980年1月、Joy Divisionは2か月間のヨーロッパツアーを敢行!
その間イアン・カーティスは2回ほどてんかん発作を起こしたが、他は何も問題はなかった。
ツアー終了後、バンドはイギリスに戻り2ndアルバム『Closer』の製作を開始した。
しかし睡眠不足と長時間労働の結果、イアン・カーティスは公演中にてんかん発作を起こすようになった。
そして4月7日、イアン・カーティスは抗けいれん薬フェノバルビトンを過剰に服用して自殺を図った。最悪イアンの命に別状はなかった。
だが終わりは確実に近づいていた。
1980年4月にシングル「Love Will Tear Us Apart」がリリースされ、バンド史上最大のヒットとなるUKシングル・チャート13位を記録した。
1980年5月にJoy Divisionは北米ツアーを発表!
その裏でイアン・カーティスは浮気問題が表面化し、妻デボラとの訴訟問題に発展。
イアン・カーティスは北米ツアー出発日前日に、デボラに差し迫った離婚訴訟を落とすように頼む。
デボラは北米ツアーが終わるまでほっておくと承諾。
そして5月18日・北米ツアー出発日の早朝、イアン・カーティスは自宅で首を吊り自殺した。
彼は23歳の若さでこの世を去った。
10月に2ndアルバム『Closer』を発表し、UKインディーチャートで1位を記録。メジャーのチャートでも6位を記録した。
残されたメンバーは半年間活動を停止し悲しみに暮れていた。
しかし彼らはバンド名を「New Order」に変えて活動を再開する!
メンバー
イアン・カーティス(ボーカル)
ほとんどの曲の作詞を担当。
当時のトレンドがパンクロック特有の高音シャウトが主流であったのに対して、独特の低音バリトンヴォイスでの歌唱で陰鬱な歌詞を歌うスタイルは同世代のミュージシャンたちに大きな衝撃を与えた。
音楽に興味を持ち出したのは、中学生のころジム・モリソンやデヴィッド・ボウイを聞き出してから。
バンドを始める前は公務員として働いており、19歳で妻デボラと結婚していた。
バンド活動が本格化した1978年後半に突然てんかん発作を患う。
てんかん発作とうつ病、浮気問題等が併発していたため精神がかなり消耗していた。
そして1980年5月18日、自宅で首を吊り死亡。
享年23歳であった。
バーナード・サムナー(ギター)
※詳細は後日
ピーター・フック(ベース)
※詳細は後日
スティーブン・モリス(ドラム)
※詳細は後日
おすすめの曲
「Transmission」
オリジナルアルバム未収録曲。コンピレーション「サブスタンス」に収録されている。
バンドのデビューシングル。
比較的早いテンポの曲だがやはり陰鬱な曲。
2007年5月、NME誌は今作を「史上最高のインディーズ・アンセム50」に20位にランクインさせる。2016年、ピッチフォークの「1970年代のベストソング200」で10位にランクイン。
「Love Will Tear Us Apart」
オリジナルアルバム未収録曲。コンピレーション「サブスタンス」に収録されている。
バンド最大のヒットシングル。
2004年、音楽誌NMEはこの曲を「ロック史上最高のシングル曲」に選んだ。
ローリング・ストーン誌が選ぶ「オールタイムベストソング500」(2011年版)にて181位にランクイン!
2016年、ピッチフォークの「1980年代のベストソング200」で7位にランクイン。
またThe CureやU2など世界的に有名なロックバンドたちがこの曲をカバーしている。
「Shadowplay」
1stアルバム『Unknown Pleasures』収録曲。
重苦しいベースから始まる曲で、その後ディストーションギターがフィーチャーされる。
アメリカのニューウェイブリバイバルバンド「Killers」がこの曲をカバーしており、彼らのコンピレーションアルバム「Stardust」にて収録されている。
「Atmosphere」
オリジナルアルバム未収録曲。コンピレーション「サブスタンス」に収録されている。
始めドラムのアフリカンで原始的なリズムで始まる。
綺麗で癒されるシンセサイザーが特徴的で、ドリームポップ的要素がかなり強い。
ピーター・フックはこの曲をバンド史上もっとも偉大な曲の一つとして選んでいる。
「Isolation」
2ndアルバム『Closer』収録曲。
電子ドラムの導入や激しいシンセサイザーのフレーズが特徴的。
またギターは一切入っていない。
エレクトロダンスミュージック要素が如実に表れた名曲である。
おすすめのアルバム
『Unknown Pleasures』(1stアルバム/1979年)
デビューアルバム。
パンクロック終焉の時期に発表された本作は新しい時代の到来を予感させるアルバムになった。
イギリスの音楽誌NMEはこのアルバムを異例となる10点満点中10点をつけた。
アメリカの音楽レビューサイトピッチフォークでも10点満点を記録した。
まさしくポストパンクを代表する歴史的名盤となった。
当時のUKインディーチャートで1位を記録。メジャーのチャートでも5位を記録した。
ローリング・ストーン誌のThe 500 Greatest Albums of All Time(2020年改訂版)では211位にランクイン。
またピッチフォークが選ぶ70年代の名盤ランキング100で9位にランクインした。
『Closer』(2ndアルバム/1980年)
このアルバムからシンセサイザーが多く活用されるようになり、後のNew Orderでのダンスミュージック的音楽性を指し示すようなアルバム。
このアルバムも専門家からの評価が非常に高く、イギリスの音楽誌NMEはこのアルバムを異例となる10点満点中10点をつけた。
同様にピッチフォークでも10点満点を記録した。
当時のUKインディーチャートで1位を記録。メジャーのチャートでも6位を記録した。
ローリング・ストーン誌のThe 500 Greatest Albums of All Time(2020年改訂版)では309位にランクイン。
またピッチフォークが選ぶ80年代の名盤ランキング100で10位にランクインした。
『Still』(コンピレーションアルバム/1981年)
イアン・カーティスの死後1年後に発表された未発表音源集+ライブ音源集。
21曲中、スタジオ録音曲は9曲、ライブ音源が12曲。
後にNew Orderのシングル曲となる「Ceremony」やThe Velvet Undergroundの「Sister Ray」のカバーが収録されていたりと興味深いアルバムである。
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