3コードパンクの先駆者であり、ポップ音楽に多大な影響を与えた最重要パンクバンド!!
エンタメ業界とは不思議なもので、タレントには「誰にもマネできない個性・技術」と「誰にでもマネできる新しいスタイル」の両方が求められる。
Ramones(ラモーンズ)は後者をもって世に出て、さらに彼らの模倣が何十年にも渡って出続けたが彼ら以上にクールなバンドは出来ていない。
Ramonesは1974年にニューヨークで結成されたバンド。
メンバー全員ラモーン (Ramone) の姓を名乗っているが、メンバー間に血縁関係はない。
これはビートルズのポール・マッカートニーがホテルにチェックインする際の偽名「Paul Ramon(ポール・ラモーン)」にちなんだもの。(※またビートルズの前身バンド「シルバービートルズ」時代のポールの芸名。)
彼らはたった3つのコードをハイテンポで演奏するという3コードパンクを生み出し、後世のバンドたちに多大な影響を与えた。
この簡単にパンクロックが弾けるというフォーマットによって多くのフォロワーを生んだ!
だが音楽とは奥が深いもので、同じフォーマットでもあらゆる要素の有無や組み合わせによってRamonesほどのカッコよさにたどり着けたバンドはいない。
Ramonesに影響されたバンドに
などのパンクバンドはもちろんのこと。その他ジャンルの
Red Hot Chili PeppersやMetallica, Nirvana, Pearl Jam, U2などの世界的バンドが彼らへの影響やリスペクトを口にする。
中でもU2のフロントマンであるボノは「RamonesがなかったらU2はなかった。」と言うほど。
2010年にローリングストーン誌が発表した「歴史上最も偉大な100組のアーティスト」にて第26位にランクインされた!
そんな偉大なパンクレジェンドを名曲・名盤を紹介!!
メンバー
ジョーイ・ラモーン
ボーカル。
身長198センチという長身と痩せた身体、長髪、サングラスが特徴的なフロントマン。
元々13歳の時にドラムを始めており、Ramones結成当初もドラムをしていた。
しかし当時ボーカルであったディー・ディー・ラモーンがボーカルに向かないと判断され、トミー・ラモーンの勧めでボーカルとなった。
音楽的趣向はビートルズやザ・フー、ビーチボーイズ、その他オールディーズを好んで聴いていた。
また彼は社会問題にも真摯に向き合っており、1985年から彼が亡くなるまで南アメリカのアパルトヘイト政策に反対する団体「サンシティ」に所属していた。
2001年4月15日にリンパ腺ガンにより49年の生涯を閉じる。
彼の死後、2003年11月30日に、ニューヨークの東2番街ブロックは“ジョーイ・ラモーン・プレイス”と改名された。その場所は、ジョーイがディー・ディーと共に暮らした場所であり、ラモーンズがその経歴をスタートさせたライブハウス「CBGB」が近くにあった。
ジョニー・ラモーン
ギタリスト。
バレーコードを高速でダウンストローク一辺倒で弾き倒すプレイスタイルは当時音楽界に衝撃を与え、後のUKパンクやスラッシュメタルに多大な影響を与えた。
またギターソロは一切弾かないが、その理由を記者に尋ねられた際は「そんな事してる暇は無い!!」と言い放った。
ローリング・ストーン誌が選んだ『歴史上最も偉大な100人のギタリスト』2011年改訂版では第28位にランクイン。
ギターはモズライトのギターを長年に渡り愛用していた。
また彼は陸軍士官学校に通っていた時期もありバンドメンバーの中でもストイックな性格であった。
また大のニューヨーク・ヤンキースのファンであった。
彼は1984年に妻リンダと結婚。
しかしリンダは元々ジョーイ・ラモーンの恋人であったため、この時からジョニーとジョーイは口を利かなくなったという。(しかし音楽に関する意見交換はしていた模様。)
そのため2001年4月にジョーイが危篤状態であったときもジョニーは彼へ電話することを拒否していた。
そのためジョニーはジョーイの死に目に立ち会うことはなかった。
2004年9月15日、彼は前立腺がんによりこの世を去る。(享年55歳)
ディー・ディー・ラモーン
ベーシスト。
元々ボーカルも兼ねていたが上記(ジョーイ・ラモーンの紹介の部分)の通り、彼はベーシストに専念する。
バンドの中では多作家として知られており、「53rd&3rd」、「Chinese Rock」、「Commando」、「Wart Hog」、「Rockaway Beach 」などはディー・ディーが作詞作曲した。
しかし彼は1989年にラッパーになると言い、Ramonesを脱退。
ソロデビューの際はヒップホップの曲をいくつか発表したがすぐにその路線を辞めてパンクのアルバムを発表した。
2002年6月5日にヘロインの過剰摂取でカリフォルニアの自宅にて死去。
享年49歳であった。
トミー・ラモーン
ドラマー。
ギタリストのジョニーとは高校時代の友人であり、当時一緒にバンドを組んでいた。
元々Ramonesのマネージャーとして入ったが、彼はジョーイにドラマーからボーカリストに転向するよう勧めた際にドラマーとして活動することなった。(ちなみに当時トミーはドラムの経験はなかった。)
また彼は初期の名曲の「Blitzkrieg Bop」、「I Wanna Be Your Boy Friend」の大部分を作曲した。
彼は1978年にRamonesを脱退したが、音楽プロデューサーとして活躍し1984年にはRamonesのアルバム「To Tough To Die」のプロデュースをした!
またThe Replacementsの名盤『Tim』も彼がプロデュースした。
2014年7月11日にトミーは胆管癌でこの世を去る。
享年65歳であった。
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