USハードコアパンクにジャズ・ファンクを取り入れた時代の異端児にして革命集団
1970年代末にアメリカのカリフォルニア州を中心にハードコア・パンクが盛り上がっていた。
当時Black Flag(ブラック・フラッグ)やDead Kennedys(デッド・ケネディーズ)がシーンの中心にいたが、Black Flag(ブラック・フラッグ)のギタリストのグレッグ・ギンがSSTレコードを設立し、更にハードコア・パンクが盛り上がることになる。
SSTレコードはハードコア・パンクを更に進化させて後の音楽シーンに多大な影響を与えるバンドを多数輩出した。
SSTレコード出身のバンドで特にメジャー音楽シーンに多大な影響を与えたバンドが2ついる。
1つはハードコア・パンクと古き良きロックの歌メロを融合させたHüsker Dü(ハスカー・ドゥ)!
もう一つは今回紹介するバンド、ハードコア・パンクにジャズ・ファンクを取り入れ、タイトな音質と曲構成にまとめたMinutemen(ミニットメン)だ!!
彼らの活動期間は1980年~1985年のたった5年間!
1985年にボーカル兼ギタリストのD・ブーンの悲劇的な事故死により解散したが、過激さとモットーとするハードコア・パンクにグルーブ感やタイトなサウンドを導入し、後のミクスチャーロックシーンに多大な影響を与えた。
同業者からの評価が高く同じカリフォルニア出身のRed Hot Chili PeppersのフリーやSublimeのブラッドリー・ノーウェルがMinutemenからの影響を受けたと公言している。
またパンク界の雄でもあるThe Clash(ザ・クラッシュ)のジョー・ストラマーは究極のパンクバンドとしてRamones(ラモーンズ)・Television(テレビジョン)・Buzzcocks(バズコックス)と並んでMinutemen(ミニットメン)の名前を挙げた!
もし彼らがずっと活動していたら、せめて90年代のオルタナティブロック・ムーブメントの時にも活動していたらと思うと更に音楽の歴史を変えていたのではと思うほどの先進性が彼らにはあった。
そんなMinutemen(ミニットメン)の功績を彼らの名曲・名盤と共に紹介する。
メンバー
D・ブーン
ボーカル兼ギタリスト。
D・ブーンとマイク・ワットは近所に住む幼馴染であった。
幼少期はそもそもロックミュージックは聞いておらず、CCR(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル)やバック・オーウェンズなどのカントリーやフォークを聴いていたが、マイク・ワットの勧めでThe WhoやBlue Oyster Cultなどのロックを聴くようになった。
D・ブーンの母が息子とマイク・ワットに楽器を習うように勧め、D・ブーンはギターを、マイク・ワットはベースを習い始めた。
1978年にマイク・ワットとジョージ・ハーレー(Dr)、マーティン・タンブロビッチ(Vo)と共にリアクショナリーズを結成したがライブ活動をほとんど行わなず、同バンドは1980年に解散。
同年1980年にマーティン・タンブロビッチ(Vo)を除いた3人でMinutemen(ミニットメン)を結成!
彼のギタープレイスタイルは特徴的で、テクニカルでグルーブ感溢れる高速カッティングが持ち味であり、ギターサウンドも高音域だけが聞こえるようにアンプの低・中音域は全てオフにしていた。
彼のプレイスタイルはアンチテクニックのハードコア・パンクシーンではかなり異質であり、さらにパンクやジャズの素養もあったため、よりレベルの高い楽曲作成にも貢献していた。
しかし彼は1985年、恋人が運転するバンに乗っていた最中に事故に遭い、この世を去る...
ジミ・ヘンドリクスやNirvanaのカート・コバーンと同様、27歳の若さで亡くなった。
2010年のローリングストーン誌で発表された『史上最も偉大なギタリスト100』のうち、第89位にランクインしている。
マイク・ワット
ボーカル兼ベーシスト。
D・ブーンとは近所に住む幼馴染であり、またロックを知らなかった彼にロックミュージックを紹介した。
彼のベースプレイもテクニカルかつ理論に基づいた奏法であり、破天荒なD・ブーンのギターサウンドを影で支えるベースラインを構築した。
しかし1985年にD・ブーンが逝去したことで、彼は鬱状態になりドラムのジョージ・ハーレーと共に音楽活動から引退すること考えていた。
そこでSonic Youthのサーストン・ムーアが自身のバンドのレコーディングにマットを誘ったことで、引退を思い留めるようになった。
さらに1986年にMinutemen(ミニットメン)の大ファンであったエド・クロフォードがマットとジョージに引退しないように何度も説得を続け、その後この3人は新たにfireHoseというバンドを結成した。
fireHoseも高い評価を受けたが1994年に解散、その後もマイク・ワットはあのイギー・ポップ率いるストゥージズのベーシストとして加入したりなどして音楽活動を続けている。
またRed Hot Chili Peppersのフリーは彼を大変尊敬しており、彼らの名盤『Blood Sugar Sex Magik』はマイク・ワットに捧げたアルバムだと公言している。
さらに2008年にフリーの推薦によりマイクはベース・プレイヤー・マガジン生涯功労賞を受賞している。
ジョージ・ハーレー
ドラマー。
幼少期からサーフィンとジャズドラムに熱中していた。
D・ブーンとマイク・ワットとは同じ高校の同級生だったが、その当時はほとんど交流がなかった。
ジョージはD・ブーンとマイク・ワットから何度かバンドに誘われていたが、『マットが陰キャっぽいから』という理由で何度も断っていた。
しかしジョージはとうとう折れて、1978年にリアクショナリーズを結成する。
さらに1980年にMinutemen(ミニットメン)を結成!
複雑なリズムの土台を作り、かつシンプルなドラムキットに拘りタイトなサウンドを形成した。
D・ブーンの死後もfireHoseのドラマーとして音楽活動を続行!
その後Saccharine Trust(サッカリン・トラスト)やPere Ubu(ペレ・ウブ)のメンバーたちと即興演奏グループ「アンノウン・インストラクターズ」を結成したり、現在でも音楽活動を続けている。
次のページからおすすめ曲・アルバムを紹介!
コメント