イギリスの3大ロックバンドの一角であり、その中でも特異な存在であり続けるレジェンドバンド!!
イギリスの3大ロックバンドはBeatles(ビートルズ)、The Rolling Stones(ローリング・ストーンズ)、そして今回紹介するThe Who(ザ・フー)である。
しかしThe Whoは上記の2バンドに比べて知名度も人気度も並んでいるとは言えない...
参考資料として2018年にウォール・ストリート・ジャーナルが「史上最も人気のある100のロックバンド」を発表したのだが、そのランキングではBeatlesは第1位、The Rolling Stonesは第5位、そしてThe Whoは23位と大きく離れている...
でも人気と音楽の良さが比例するわけではない、The Whoは上記の2バンドとは大きくかけ離れた路線を追求していた。
The WhoはBeatlesやThe Rolling Stonesと違って、ブルースの要素が皆無であった。
これはロックという音楽がブルースの派生であるという認識が強かった時代において、ブルースの要素がないロックは大変珍しいことであった。
またThe Whoはロックバンドであるのにギターやボーカルよりドラムとベースが目立つという珍しさがあったり、さらに上記の2バンドよりも先にシンセサイザーを楽曲に導入するなど先進性にも優れていた。
特筆すべきはライブパフォーマンスであり、楽器破壊や爆薬の使用など今では考えられないパフォーマンスを行い、あらゆるライブハウスやテレビ局を出禁になっていた。
このような彼らの長所、いわゆる男臭さが女性ファンの獲得を邪魔してBeatlesやThe Rolling Stonesの人気に敵わなかったのではないかと思う...(もっと言うとThe Whoのギタリストのピート・タウンゼントは自分たちのルックスの悪さゆえに他のバンドより人気が出なかったと公言している。)
しかし今回はそんなイギリスの3大ロックバンドの問題児集団、The Whoを紹介!!
メンバー
ロジャー・ダルトリー
ボーカル。
バンド内で最年長でありリーダー的存在!
労働者階級出身であり、子供の頃は成績優秀であったがテディ・ボーイズ(ロックやR&Bに関心がある不良グループ)であったため、中学校を退学している。
中学校を退学した時期前後に音楽活動を始めており、当時ロジャーはギターを買うお金がなかったため自作したアコースティックギターでバンド活動をしていた。(最終的に父親からエレキギターを買い与えられた。)
1961年にロジャーは板金工として働きながら、ザ・ディトゥアーズというバンドのリードギタリストとして活動していたが、板金工だと手がケガすることが多いためギターを手放しボーカルとして活動するようになった。
その後中学の後輩であったジョン・エントウィッスルをベーシストとしてスカウト、またジョンの元バンド仲間であったピート・タウンゼントも加入!
そして1964年にドラマーのキース・ムーンが参加して、バンド名もThe Whoに変更した!
ロジャーがバンドのリーダー的存在であったのは、最年長というのも理由の一つであるが、下積み時代から彼一人が車の運転・機材運搬・ライブハウスの出演交渉などをしていたこともある。
というのもロジャー以外のメンバーで外交的なことが出来る人がいないのが原因の一つであった。(ピートは人見知り、ジョンは無口、キースは単純にヤバい奴)
また彼は低身長であるが腕っぷしが強いため、最悪メンバーに対して拳で意見を通すことがあったという。(ピートのインタビュー談)
ボーカルスタイルはハスキーがかったパワフルな声質であるが、彼自身はこの声質を好んでいないらしい。
また俳優としての実力もあり、自分たちのアルバムを元に製作されたロックオペラ『Tommy』では主演のトミーを演じ、その年のゴールデングローブ賞の最優秀新人男優賞にノミネートされている。
2008年にローリング・ストーン誌の選ぶ「歴史上最も偉大な100人のシンガー」にて第61位にランクイン。
ピート・タウンゼント
ギタリスト。
バンドの楽曲の作詞・作曲・編曲は99%彼が担当している!(彼はギター・ベース・ドラム・ボーカルまですべてのパートのデモテープを録音して、レコーディング前に他のメンバーにデモテープを渡してその内容を練習させていた。)
彼の父親はプロのアルトサックス奏者であり母親はプロのオーケストラの歌手という音楽家のDNAを色濃く受け継いでいるが、幼少期に両親は離婚して母方の祖母の家で暮らしていた。(ピートは祖母から虐待を受けていたという。)
幼少期のピートには友達が少なく、ずっと家で『宝島』や『ガリバー旅行記』などの冒険譚を読んでいたという。
映画『ロック・アンド・ロール/狂熱のジャズ』に影響を受けてギターを欲するようになり、12歳のときの皮肉にも虐待していた祖母がクリスマスプレゼントにギターをくれたことから音楽活動を開始。
その後中学校でジョン・エントウィッスルと音楽を通じて仲良くなり、1962年に彼の紹介でThe Whoの前身バンドザ・ディトゥアーズに加入した。
加入当時のピートはイーリング・アート・カレッジの芸大生であり、プロのミュージシャンを全く目指しておらず、その時はプロの彫刻家になるのつもりだったという。
彼はリズムギタリストとしてのプレイに徹しているが、リードギター的演奏も出来る。
またバンドの名物である楽器破壊パフォーマンスは彼が始めたものであり、天井の低い場所でのライブでギターが偶然天井に当たって壊れた事が観客にはパフォーマンスだと受け取られた事が始まりだったという。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」にて2023年版では第37位、2011年版では第10位とかなり評価が高い。
ジョン・エントウィッスル
ベーシスト。
史上最高のベーシストと称されることが多いレジェンドベーシスト!
幼少期から音楽教育を受けておりピアノやトランペットをしていたが、低音の楽器が好きだったことからベーシストに転向した。またベースは彼が自作したものを使っていたという。
1961年には電気技師助手として働きながらバンド活動をしていたが、中学の先輩であるロジャー・ダルトリーに誘われて彼のバンドザ・ディトゥアーズに加入。(しかしジョンは当時有名な不良のロジャーに話しかけられてかなりビビっていたという。)
またジョンはThe Whoがメジャーデビューするまで税務署員としても働いていた。
彼のベースサウンドは非常にアタック音が強くてメロディックで素早く、リードベースと呼ばれるのに相応しい役割を果たした。
従来ベースは楽曲の縁の下の力持ちとして目立たない存在であったが、彼の卓越した技術によりギターのピートがリズムに回り彼がリードベースとなった。
またパフォーマンスも独特で他の3人は激しくステージで暴れ回る一方、ジョンだけ直立不動で黙々とベースを弾き続ける。しかしそのベースの音は誰よりも大きい!!
業界内でも非常に評価が高く、ゲディ・リー(Rush)やのレミー・キルミスター(Motorhead)、クリス・ノヴォセリック(Nirvana)、ギーザー・バトラー(Black Sabbath)など名だたるベーシストたちが彼からの影響を公言している。
2020年にローリングストーン誌が発表した「史上最高のベーシスト50選」において第3位に選ばれている。(上位2名はジャズやR&Bの奏者のため、ロック界隈では実質彼が1位となる。)
しかし2002年6月27日、アメリカツアー初日を控えていた前日に彼はコカインの過剰摂取によるオーバードーズでこの世を去る。享年57歳の若さで亡くなった。
キース・ムーン
ドラマー。
パワフルすぎるドラミングと破天荒すぎるプライベートから史上最高のロックドラマーと呼ばれる男!
The Whoのドラマーは元々ダグ・サンダムという人物であったが、ピートとの喧嘩別れによりバンドを脱退していた。
1964年にキースは友人と一緒にThe Whoのギグを観に行き、そのときThe Whoは急場しのぎで別のドラマーが演奏していたが、キースの友人がその場で「俺の友達(キース)の方がドラムが上手い!」と言い放ち半ば無理やりキースを舞台にあげた。
キースは勇気を出すために酒を何杯か飲んでドラムセットに座って、「アーーー!」と叫んでボ・ディドリーの『ロードランナー』を演奏したが、あまりにもパワフルな演奏でドラムセットを破壊してしまった。
キースはドラム壊したことに「やってしまった!」とビビっていたが、ロジャー・ダルトリーは彼の演奏に惚れこみその場でスカウトしてバンドに加入した。
彼のドラムプレイは『キースにとってのドラムは、ギターにおけるジミヘン』と称されるほどドラム史に革命を起こすほどであり、リズムのキープなど全く行わず驚くほどの手数の多さとアグレッシブさとアドリブの多さから『リードドラム』と言われていた。
2010年に発表した「ローリング・ストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のドラマー」にて第2位にランクイン!
また彼はBeatlesのリンゴ・スターと仲が良く、彼の息子のザック・スターキーにドラムを教えていた。そして今ではザック・スターキーは世界屈指のドラマーとして活躍している。
破天荒なエピソードの数々
また彼の私生活はぶっ飛んでおり、そのエピソードを箇条書きで紹介!!
- 爆竹や花火が大好きでいたずら感覚で自分の家だけでなくホテルや友達の家でも爆竹で遊んで物を破壊する。
- テレビ番組「スマザーズ・ブラザーズ・ショー」に出演した際、キースはドッキリで自分のバスドラムに爆薬を入れて爆発させたが、火薬が多すぎたためキースは脳震盪を起こして腕に切り傷を負う。さらにピートは爆発のせいで耳が一時的に聴こえなくなった。
- ホテルに泊まるたびにホテルの物を破壊するため、あらゆるホテルを出禁になった。
- アメリカに移住した際、隣人が名俳優のスティーヴ・マックイーンであったが、彼の出演作の『大脱走』に因んでキースはマックイーンの庭にバイクで侵入したり勝手に塀の下に抜け道を作るなどして彼を悩ました。
- さらにキースはスティーヴ・マックイーンの息子チャド・マックイーンにマリファナを薦めようとしたところ、スティーヴに見つかり取っ組み合いの喧嘩をした。
- 女装癖があり、たびたび女装をして散歩しているところを目撃された。
このような奇行が多いためあるインタビュアーから「ドラマーとしての評判に傷がついたりしないか?」と質問されたが、キースは「俺は偉大なドラマーになろうなんて思わない。The Who(ザ・フー)でドラムスが出来ればそれでいいんだ」と答えたという。
しかし彼は1978年9月6日に32歳の若さでこの世を去る...
死因はアルコール依存症の離脱症状を抑える薬を過剰に飲んだことによるオーバードーズであった。
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