英国のギターロックの至宝、XTCの歴史を紹介
XTCはセックスピストルズが誕生したあとの1977年に1stアルバム『White Music』でデビューしたポストパンクのバンド。
彼らは決して大人気のバンドではなかった。
しかし彼らの音楽はBlurやR.E.M、カイザーチーフス、フランツフェルディナンドなどの後の世代に大きな影響を与えている!
今回は彼らの略歴(前半)を紹介します。
結成~デビュー(1972年~1978年)
このバンドはイギリスのウィルトシャーの北東に位置する町、スウィンドンから始まる。
バンドの中心人物となるアンディ・パートリッジ(ギター・ボーカル)とコリン・モールディング(ベース)がこの町で生まれ育ち、音楽を通じて交流をしていた。
1972年、それぞれのバンドで活動していたアンディとコリンは同じバンドで活動するようになる。
バンド名は当時「スターパーク」であった。
当時はずっとビートルズやモンキーズのようなバンドのコピーをしていたが、アンディがニューヨーク・ドールズを聞いてから音楽的衝撃を受ける。
そしてバンド名を「ヘリウムキッツ」に変更し、音楽路線も「3分間のテンポの速い独創的なポップソング」を心がけるようになる。
1975年にバンド名を「XTC」に変更!またキーボードを導入。
初期のラインナップが完成する。
メンバーは以下の5人だった。
- アンディ・パートリッジ(ギター・ボーカル)
- コリン・モールディング(ベース)
- テリー・チェンバーズ(ドラム)
- バリー・アンドリュース(キーボード・サイドギター)
1977年にXTCはメジャーレーベル「ヴァージンレコード」と契約を結ぶ。
1978年に1stアルバム『White Music』を発表する。
プロデューサーは後にThe Stone RosesやRadioheadのプロデューサーになるジョン・レッキーであった。
このアルバムはレトロ感を持ちつつ風変わりなポップを演奏していたため、メロディーメーカー誌やNMEがXTCを絶賛した!
また全英アルバムチャートで38位を記録した。
1978年10月に2ndアルバム『Go 2』を発表!!
全英アルバムチャートで21位を記録し、前作のチャート記録を上回る。
しかしこのアルバムの制作過程でバリー・アンドリュースが脱退。
アンディとの音楽的方向性の違いが理由であった。
アルバム発表後代わりにデイヴ・グレゴリー(リードギター)がXTCに加入した。
新たなブリティッシュポップを開拓(1979年~1981年)
1979年に3rdアルバム『Drums and Wires』を発表!
本作からプロデューサーが新人気鋭のスティーブ・リリーホワイトが担当する。
彼のアイディアによりドラムの音にゲートリバーブというエフェクトを導入したことにより、より風変わりなサウンドを実現した。
アルバムは前作よりもポップでギターとドラムがフィーチャーされたものになった。
全英アルバムチャートで34位を記録。
また本作からシングルカットされた「Making Plans for Nigel」は全英シングルチャート17位を記録するヒットとなった。
1980年には4thアルバム『Black Sea』を発表!!
前作の路線を踏襲しつつ、作曲・アレンジのレベルが上がった名盤となった。
全英アルバムチャートで16位を記録。
またUSビルボードチャートでも41位を記録するヒットアルバムとなった。
また本アルバムからシングルカットされた楽曲「Generals and Majors」(シングルチャート32位)、「Towers of London」(31位)、「Sgt. Rock(Is Going to Help Me)」(16位)とヒット作を多数輩出している。
またこのころからXTCのメディア露出が増えており、1980年から1981年にかけてオープニングアクトとして大人気バンドPoliceのワールドツアーに参加!
XTCは一気にスターダムにのし上がる!
成熟~アンディの悲劇(1982年)
1982年に5thアルバム『English Settlement』を発表。
このアルバムでXTCは今までの路線から変更し、牧歌的なポップソングが主流となる!
本作からはプロデューサーも雇わず、セルフプロデュースでアルバムを制作。
より複雑で複雑なアレンジ、より長い曲、より広い社会問題をカバーする歌詞、そしてより幅広い音楽スタイルを披露する。
アルバムは各種メディアから絶賛され、多くの批評家からXTCの最高のアルバムと評する。
また全英アルバムチャートで5位にランクインし、キャリアハイを記録した!
しかしこの大ヒットの裏側である悲劇がバンドを襲う!
なんとフロントマン・アンディの”ライブ恐怖症”になり人前で演奏が出来なくなった!
以前からライブによる重圧によってアンディの体調が悪くなっていたが、パリでの生放送ライブ中に突然アンディがステージから逃げ出したことで”ライブ恐怖症”が公になった。
そのため次に控えていたテレビ出演やワールドツアーはすべてキャンセルとなり、バンドは多額の違約金を請求される!
XTCは解散の危機に瀕していた...
低迷期~覆面バンド(1983年~1985年)
1983年に6thアルバム『Mummur』を発表。
アルバムの路線は前作に沿ったものだが、バンドメンバーの精神的に良くないなかで製作されたアルバムのため批評家・専門家からの評価はあまり芳しくなかった。
それに伴い全英アルバムチャートで58位にランクインし、バンド史上最も低い順位であった...
1984年に7thアルバム『Big Express』を発表!
アルバムは今までと打って変わって「騒がしさ」とサイケデリックがフィーチャーされている。
専門家たちからの評価は芳しくないものだが、後のXTCの方向性が定まった良いアルバムだ。
全英アルバムチャートで38位にランクインし、前作より少し回復する。
だがアルバム制作費がに多大な予算をつぎ込んでいたため、トータルで見るとレーベルは損をすることになった。
1985年にはXTCはThe Dukes of Stratosphear(デュークスオブストラトスフィア)と名乗り、サイケデリックアルバム『25 O’Clock』を発表!
The Dukes of Stratosphear(デュークスオブストラトスフィア)は覆面バンド。
- アンディは”Sir John Johns”
- コリンは”The Red Curtain”
- デイヴは”Lord Cornelius Plum”
- イアンは”E.I.E.I. Owen”
と名乗って活動を開始!!
アンディとデイヴのサイケデリックロックの趣味が高じて行われたプロジェクトであった!
またアルバムのプロデューサーには再びジョン・レッキーを起用。
低予算のレコーディングであったが、アンディは当時のレコーディングを「スタジオでこれまでで最も楽しかった」と振り返った。
売り上げは良くなかったが、専門家たちからの評価は好評であった。
しかしXTCはアンディの”ライブ恐怖症”が発症後のXTCは低迷期にあった。
彼らはこの低迷期をどう乗り切ったのか?
彼らの起死回生劇は次回紹介します!
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