『サウスパーク』の製作者たちを紹介!

カートゥーン
画像出典:Matt Stone & Trey Parker - HOME | Facebook
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『サウスパーク』の製作陣を調べることで、作品の面白さの秘密が見つかる!?

このブログを始めて1か月が過ぎ、ついに今皆さんが読んでいる記事を含めると『サウスパーク』に関する記事の数が20個目に突入した。

文字数に変換するとサウスパークに関する記事19個の総文字数は・・・

なんと72,880字も書いていた!

論文の量じゃないか!?

僕の大学時代、卒業論文は”2万字を越えないといけない”という規定があって苦しんでいたのがバカみたいだ。

そんな僕が愛してやまない『サウスパーク』へのリスペクトを込めて、今回はサウスパークの製作者たちについて紹介することにした。

『サウスパーク』はトレイ・パーカーとマット・ストーンの二人による作品として認知されている。

しかし調べてみると、彼ら以外にもサウスパークの製作に多大な貢献をしている人物がいた。

まあ色々ひっくるめて皆さんに紹介したいと思います。

『サウスパーク』が生まれた経緯

そもそも『サウスパーク』はどのようにして生まれて、放送されるようになったのか?

まずは『サウスパーク』が放送に至るまでの経緯を皆さんに紹介します。

トレイとマットの出会い~原型『クリスマスの精神』製作(1992年)

1992年

原作者の2人トレイ・パーカーマット・ストーンが初めて出会ったのは、2人が通っていたコロラド大学ボルダー映画制作コースの授業であった。

当時トレイは映画・ミュージカル専攻、マットは数学専攻であったため、同じ大学でも接点はなかった。

しかし2人はこの授業でお互い『モンティ・パイソン』が大好きであったこと知り意気投合!

2人で映画制作コースの授業の課題作品を作ることになった。

『モンティ・パイソン』に出てくる切り絵アニメ「フライング・サーカス」に触発されて、二人は切り絵アニメ作品を作ることになる。

そしてトレイマット『The Spirit of Christmas(Jesus vs. Frosty)』を完成させる!

ケント紙とはさみ、接着剤、8ミリフィルムカメラのみで本作品を制作した。

あらすじは以下の通り。

小学生4人が雪だるまにシルクハットをかぶせると雪だるまはモンスターとなり大暴れ!、小学生たちはイエス・キリストに助けを求めるという短編アニメ。

なんとこの時からスタン・カイル・カートマン・ケニー、4人のデザインが大体決まっていた!(しかし見た目がカートマンのキャラがケニーと呼ばれており、ケニーっぽいキャラの名前は不明...)

この作品は1992年12月に行われた学生映画上映会で初めて発表された。

食人ミュージカル『カンニバル! THE MUSICAL』を発表(1993~1994年)

トレイとマットはその後も創作活動を続けた!

彼らとその他友人たちと一緒に映画制作会社『the Avenging Conscience』を設立。

その後ふざけて作った架空の映画予告映像(3分間ほど)が大学関係者の目に留まり、長編映画として製作する企画が立ち上がる。

125,000ドルの資金を調達し、1993年大学の春休みに製作・撮影を開始。

(ちなみにトレイとマット含むほかのスタッフ全員は映画作りに熱中しすぎて、大学の『映画史』の単位を全員落としたらしい...!)

そして映画『カンニバル! THE MUSICAL』が完成する。

アルファード・パッカーという実在の食人事件の犯人を題材にしたミュージカル作品だった

トレイとマットたちはこの作品をトロマ・エンターテインメントビデオ化の権利を100万ドルで売却!

映画制作会社『the Avenging Conscience』はカリフォルニアに活動拠点を移し、さらに活動の幅を広げることになる!

『クリスマスの精神』の新ヴァージョンを製作(1995年)

月日が流れ1995年。

当時FOXプロダクションに勤めていたプロデューサー、ブライアン・グラエン『The Spirit of Christmas(Jesus vs. Frosty)』を視聴し感動!、彼はトレイマットに連絡を取る。

ブライアンは友人に送るためのクリスマスビデオカードの製作をトレイとマットに委託、製作費として2,000ドルを渡す。

トレイとマットは再び切り絵アニメの製作を始めた。

またトレイの中学校・高校の同級生のエリック・スタウをアニメ製作に誘う。

エリックはコロラド大学ボルダー校の美術コースを専攻していた。

エリックの加入により前作よりもデザインはかわいらしくなり、今の『サウスパーク』にかなり近いデザインになった!

そして完成したのが『The Spirit of Christmas(Jesus vs. Santa)』!

あらすじはスタン・カイル・カートマン・ケニーの目の前でキリストとサンタが決闘するという内容。


ブライアン・グラエンは作品を手に入れると複数の友人たちにビデオのコピーを送る!

その過程でビデオはインターネットに流失し話題になる!

またあのハリウッドスターのジョージ・クルーニー『The Spirit of Christmas(Jesus vs. Santa)』を大量にコピーし、コピーしたビデオを友人たちに送っていたという。

コメディ・セントラルにて放送開始(1996~1997年)

『The Spirit of Christmas(Jesus vs. Santa)』が話題になったことで、トレイとマットは『サウスパーク』としてシリーズ化を企画・制作を開始した!

また『サウスパーク』はあの『ザ・シンプソンズ』を製作しているFOXテレビにて製作・放映するという契約予定であった。

しかしFOXテレビはサウスパークの登場人物であるうんこの妖精「Mr.ハンキー」を削除しようとしたが、トレイとマットはこの要求を拒否したため契約するには至らなかった。

その後トレイとマットはComedy Centralと契約!

1997年にサウスパークのシーズン1が放映開始され、現在に至る!

製作者たちを紹介!

トレイ・パーカー

サウスパークの原作者の一人。そしてスタンのモデル!

コロラド州コニファー生まれ。

母シャロンは保険販売員、父ランディは地質学者だった。(彼らは実在する?!)

小学校時代からエキセントリックで、小学校時代に出演したタレントショーでは”血糊をまき散らす歯医者”を演じて周囲を驚かせた。

その後エヴァーグリーン中学校に入学し、後に『サウスパーク』の共同制作者となるエリック・スタウに出会う。

2人は仲良くなり、一緒に地元のミュージカル劇団に所属した。

トレイは高校性になると合唱団に所属しピアノの演奏を担当、後に顧問会長を務めた。

高校卒業後は世界最高峰の音楽教育機関バークリー音楽学院に入学!

しかし1年で退学し、その後コロラド大学ボルダー校に入学、ミュージカル専攻であった。

ここで盟友マット・ストーンに出会い、伝説が始まる...という感じ!

彼は『サウスパーク』のストーリーも考えているし、作中の音楽も自ら作曲している!

マット・ストーン

サウスパークの原作者の一人。そしてカイルのモデル!

カイルと同様、彼もユダヤ人である。

テキサス州ヒューストンで生まれ、後にコロラド州リトルトンに移住する。

母シーラと父で経済学の教授のジェラルドのもとで育つ。(本当は弁護士じゃないのか・・・)

高校を卒業するとマットは父に「ミュージシャンか浮浪者になる」と宣言!

父は当然マットに説教し、妥協の結果マットはコロラド大学ボルダー校に入学し数学コースと映画コースを受講!

そしてトレイ・パーカーと出会うのであった。

おもに『サウスパーク』のストーリーを考えている。

エリック・スタウ

サウスパークの作画監督であり、バターズのモデル。

トレイとは中学校からの付き合いである。

コロラド州エヴァーグリーンで生まれ、過保護な家庭で育ったという。

また当時から「バターズ」というニックネームで呼ばれていたという。

彼はアニメーションに興味を持っており、本当はディズニーのアニメーターになるのが夢であった。

エリックはコロラド大学ボルダー校の美術コースに入学。

後にトレイに誘われて「サウスパーク」の原型となるアニメ『The Spirit of Christmas(Jesus vs. Santa)』の作画デザインを担当!

その後もずっと「サウスパーク」の作画監督として活動を続けている。

また彼は大学時代にインターンシップを利用して、「セサミ・ストリート」「マペッツ」で有名なジム・ヘンソンのプロダクションで勉強していたこともあった。

サウスパークのプロデューサーフランク・アグノーネはエリックを「マットとトレイに並ぶくらい重要な人物である」と語っている。

アイザック・ヘイズ

人気キャラ”シェフ”の声優。

だが本職はアメリカで有名なシンガソングライターかつ音楽プロデューサー。

彼が発表した映画サウンドトラック『黒いジャガー』は1972年にアカデミー賞オリジナル作曲部門受賞ゴールデングローブ賞作曲部門受賞、またはグラミー賞ベストエンジニア部門ベストインストゥルメンタルアレンジ部門の2つを受賞した。

かなりの大物だった。

またサウスパークSoundtrack『The South Park Chef Aid』にてトレイが作曲した”Chocolate Salty Balls (P.S. I Love You)”のボーカルを務めて、全英チャート1位を記録した!

しかし2005年にサウスパークの『Trapped in Closet』(S09E13)にてサイエントロジーを皮肉るエピソードをしたことがきっかけでアイザックは番組を辞める。

彼は熱心なサイエントロジーの信者であった。

その後2006年最初のエピソード『Return of Chef』にて長年彼が声優を務めていた”シェフ”を死亡させる。

エピソードの中では「信者ではなく宗教そのものが憎い」ことを一貫して伝えていた。

2008年8月10日、彼は脳梗塞で逝去する、トレイたちとアイザックは和解することができなかった。

サウスパークSoundtrack『The South Park Chef Aid』紹介

メアリー・ケイ・バーグマン

サウスパークの女性声優。

サウスパーク初期の女性キャラは彼女がほとんど担当していた!

またサウスパークの他にディズニー作品の脇役に多数出演しており、中でも『トイストーリー2』のジェシー役は有名である。

また彼女が映画『サウスパーク/無修正映画版』の中で歌った曲「Blame Canada(ブレイム・カナダ)」はアカデミー賞歌曲賞にノミネートされた!

映画『サウスパーク/無修正映画版』紹介・感想

しかし1999年11月11日、メアリーは拳銃自殺を図り逝去。享年38歳であった。

彼女は生前重い鬱に侵され、常に歳をとることによって自分の才能が失われることを恐れていた。

彼女の没後、自殺者を防ぐための「メアリ・ケイ・バーグマン記念基金」が設立された。

またサウスパークの製作陣たちも『宇宙戦士!腹ペコマーヴィン』と『Mr.ハンキーのクリスマスDEショー』のエピソードの中で彼女に対する追悼文が流れた。

Primus(プライマス)

またトレイとマットは大好きなバンド

トレイとマットはPrimusに『サウスパーク』のメインテーマの作曲を依頼し、バンドは40秒ほどの曲『South Park Theme Song』を製作する。

しかし会社の意向で40秒は長いということになり、短いヴァージョンを急いで再レコーディングした。

この再レコーディングしたバージョンが今みんなが聞いているOPにとなった!

(また始めに作った長いヴァージョンは、インストゥルメンタル化されてエンディングで使用されている)

Primus(プライマス) 入門編

ブライアン・グラエン

トレイとマットの才能を見出した敏腕プロデューサー!

彼はスーパーエリートで飛び級してオーラルロバーツ大学を卒業し、その後ハーバード大学MBAを取得。

その後彼はFOXテレビに入社し、後に幹部に昇進!

1995年にトレイとマットの作品『The Spirit of Christmas(Jesus vs. Frosty)』を目にして、彼は友人に送るためのクリスマスビデオカードの製作をトレイとマットに委託、製作費として2,000ドルを渡す。

ここから発展してサウスパークは放送するに至ったのだった。

外部リンク

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