Beastie Boys(ビースティ・ボーイズ)入門編

ヒップホップ
画像出典:Official Facebook Page for Beastie Boys
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音楽史上初の白人ラップ・グループであり、ヒップホップの可能性を追求したBeastie Boys

彼らはミクスチャーロックバンドではなく正真正銘のヒップホップグループ!

紹介するかどうか迷ったけど、彼らが後世のヒップホップ・ミクスチャーロックに多大な影響を与えたという偉大な功績を考えると紹介すべきだと思ったので紹介します。

略歴

結成~ハードコアからヒップホップへ(1978年~1983年)

Beastie Boysは初めからヒップホップグループではなく、元々はハードコアバンドだった。

1978年に結成された前身バンド「ヤング・アボリジニーズ」を経て、1981年にBeastie Boysを結成!

結成当初もハードコアバンドであり、ニューヨークを拠点に活動をする。

メンバーは

  • マイクD
  • キング・アドロック
  • MCA(エムシーエー)
  • ケイト・シェレンバッハ
  • ジョン・ベリー

彼らはハードコアバンドでもあるが、ヒップホップグループとよく一緒にライブをしていた。

1982年にジョン・ベリーは脱退した。


1983年、バンドは初めてヒップホップシングル「Cooky Puss」を発表!

この曲は地元ニューヨークのアンダーグラウンドシーンで注目を集め、Beastie Boysの名が徐々に知れ渡るようになる。

デフジャムレコード移籍~名盤『Licensed to Ill』発表(1984年~1987年)

1984年には、完全にヒップホップ路線に舵を切り、ケイト・シェレンバッハが脱退。

Beastie BoysDJとして当時大学生であったリック・ルービンを雇う。

後にリック・ルービンはバンドのプロデューサーとして活躍することとなる。

またリック・ルービンとラッセル・シモンズが共同で創設したレーベル「デフ・ジャムレコード」にバンドはアルバム制作を開始した。

1985年、Beastie Boysパブリック・イメージ・リミテッド(元セックスピストルズのボーカル、ジョニー・ロットンのバンド)のオープニングアクトや、マドンナのツアーサポートを務める。

また他のヒップホップグループであるRun DMCWhodiniLLクールJたちと一緒にツアーを行う!


1986年に1stアルバム『Licensed to Ill』を発表。

80年代を代表するヒップホップの名盤として批評家たちから多大な評価を得る。

またUSビルボードチャートでも1位を記録!

さらに売り上げも1000万枚を超えるモンスター級のアルバムとなった。

このアルバムからシングルカットされた「(You Gotta) Fight for Your Right (To Party!)」も大ヒットを記録し、各メディアから絶賛された。

USビルボードホットにて7位を記録した。

このアルバムによってBeastie Boysはアメリカのみならず全世界にその名を轟かせることになった。

翌年1987年に、Beastie Boysは世界ツアーを敢行!

しかし彼らの派手なライブは最高潮に達していたため、メンバーの逮捕や訴訟に悩まされることとなった。

キャピトルレコード移籍(1988年~1991年)

1988年、Beastie Boys「デフ・ジャムレコード」を離れ、メジャーレーベル「キャピトルレコード」と契約。

同年に2ndアルバム『Paul’s Boutique』を発表!

前作の大ヒットによるプレッシャーはあったが、彼らはさらにヒップホップ色を強めた今作を発表。

USビルボードチャートでも14位を記録し、前作ほどの成功を得られなかった。

しかしサンプリングの技術を追求した本作は、専門家たち・同業者から絶賛された。

グランドロイヤル発足~快進撃(1992年~2000年)

1992年、Beastie Boysは「キャピトルレコード」の傘下として「グランドロイヤルレコード」を設立。

同年3rdアルバム『Check Your Head』を発表!

今作ではサンプリングを少なめにし、バンド自らが演奏しトラックを作成した。

USビルボードチャートでも10位を記録し、前作を上回るヒットとなった。


1994年、4thアルバム『Ill Communication』を発表!

今作はUSビルボードチャートで1位を記録!

さらにシングルカットされた「Sabotage」はMTVを中心に人気を集め、USビルボードホットにて15位、モダンロックチャートでも18位を記録する大ヒットとなった。

1996年、Beastie Boysは今までのパーティー色に偏ったイメージを反省し払拭を決意。

同年にチベット解放を支持するためのロックフェスTibetan Freedom Concert(チベット独立支援コンサート)」の創設者と一人になる。

このフェスはBeastie Boysを含め、レッチリRage Against The Machineビョーク・Smashing Pumpkins・A Tribe Called Quest・De La Soulなど様々な豪華アーティストが参加した。


1998年に5thアルバム『Hello Nasty』を発表!

今作はUSビルボードチャートでも1位を記録!

それだけにとどまらず、イギリスやオーストラリア・スイス等の国で1位を記録した。

さらに1999年のグラミー賞ベスト・オルタナティブ・ミュージック・アルバムを受賞した!

同時に本作からシングルカットされた「Intergalactic」グラミー賞ベスト・ラップ・パフォーマンスを受賞する!

バンドは世界的ヒップホップグループとしての地位を確立した。

しかし2000年にマイクDが自転車の事故により重傷を負う。その間バンド活動は停止状態となった。

グランドロイヤル閉鎖~さらなる高みへ(2001年~2011年)

2001年に彼らが設立した「グランドロイヤルレコード」が多額の負債により閉鎖する。

その後キャピトルレコードに戻ることとなった。

同年に起こった9.11同時多発テロ事件や2003年のイラク戦争などをきっかけにバンドはさらに政治的なメッセージを発信することになった。

2004年に6thアルバム『To the 5 Boroughs』を発表!

政治的メッセージが強い本作はUSビルボードチャートでも1位を記録!


2007年は7thインストゥルメンタルアルバム『Mix-Up』を発表!

ヒップホップグループが歌なしラップなしのアルバムを発表するなんて前代未聞の試みであった。

USビルボードチャートも14位で売り上げも高くはなかった。

しかし2008年のグラミー賞の最優秀ポップ・インストゥルメンタルアルバム賞を受賞した!


2010年、2枚組の新作アルバムを発表していたが制作が難航していた。

またメンバーMCA耳下腺とリンパ節の癌性腫瘍の発覚により、アルバムリリースは延期された。

2011年5月に8thアルバムHot Sauce Committee Part Two』をリリース。

当初構想にあった2部構成は廃止され、トレンドや実験性を無視したエネルギッシュなアルバムであった。

USビルボードチャートも2位を記録した!

またこの年にBeastie Boys『ロックの殿堂入り』を果たす!

彼らは名実ともにロックの歴史に名を遺すバンドとして認められた!

突然の悲劇・解散(2012年~)

2012年5月4日、MCAことアダム・ヤウクが癌により逝去...

彼は47歳の若さでこの世を去った。

残されたメンバーは今後Beastie Boysで新たに音楽活動を行わないことを発表した。

2020年4月24日より、ビースティ・ボーイズのドキュメンタリー映画『ビースティ・ボーイズ・ストーリー』スパイク・ジョーンズ監督)がApple TV+にて配信開始している。

メンバー

マイクD(MC・ドラム)

本名:Michel Diamond(マイケル・ダイヤモンド)

本当はドラム担当。

バンドの活動以外にも、MobyBjörkなどのアーティストにリミックスを提供している。

キング・アドロック(MC・ギター)

本名:Adam Horovitz(アダム・ホロヴィッツ)

メンバーの中では最年少であり、結成当初彼は16歳であった。

MCAの死後、彼は俳優活動をしている。

また妹のレイチェル・ホロヴィッツは映画プロデューサーであり、ブラッド・ピット主演映画『マネーボール』の製作に携わっている。

MCA(エムシーエー)(MC・ベース)

本名:Adam Yauch(アダム・ヤウク)

本職はベーシスト。

彼は仏教徒であったため、「Tibetan Freedom Concert(チベット独立支援コンサート)」を初めに提案したのは彼の一声であった。

2009年に耳下腺とリンパ節の癌性腫瘍の発覚。

治療が可能であると発表があったにも関わらず、2012年5月4日に逝去した。

エミネムトム・ヨーク(Radioheadジェフ・アメン(Pearl Jam、俳優ベン・スティラーなどジャンルや音楽を超えた有名人たちが彼への追悼コメントを残した。

おすすめの曲

Brass Monkey

1stアルバム『Licensed to Ill』収録曲。

ファーストリリースシングル。

このシングルは50万枚以上売り上げ、ゴールドディスクを獲得した!

USビルボードホットにて48位を記録した。

かなり聞きやすいヒップホップ。

(You Gotta) Fight for Your Right (To Party!)

1stアルバム『Licensed to Ill』収録曲。

Beastie Boysの代表曲の一つ。

この曲のハードコアのような叫ぶラップは当時革新的で音楽史に衝撃を与えた!

PVもパーティー全開という感じのものであるが、後にこの方向性についてバンド自身は反省の意を述べている。

USビルボードホットにて7位を記録した。

2014年に発表されたNMEの「史上最高の500曲」で166位に選ばれた!

Sure Shot

4thアルバム『Ill Communication』収録曲。

ジャズ・フルート奏者ジェレミー・シュタイグの「ハウリン・フォー・ジュディ」のサンプリングから始まるクールなヒップホップソング。

オーソドックスなヒップホップ。

Sabotage

4thアルバム『Ill Communication』収録曲。

バンドを代表するラップロックソング!

1993年11月にバンドメンバー3人は友人であり若き名俳優リバー・フェニックスの葬儀に出席したとき、パパラッチの取材に怒りを爆発させた。

その後すぐプロデューサーの家に直行し、ラップをレコーディングしたという逸話がある。

USビルボードホットにて15位、モダンロックチャートでも18位を記録する大ヒットとなった。

また日本のアイドルユニット「でんぱ組inc.」がこの曲をカバーしている。

Intergalactic

5thアルバム『Hello Nasty』収録曲。

かなり明るめの曲!

PVは日本で撮影されており、渋谷・新宿駅構内をBeastie Boysが練り歩きながらラップをする。

さらに巨大ロボや怪獣を登場させたりなどかなりコミカルなPVである。

1999年度 MTVビデオミュージックアワード最優秀ヒップホップビデオ賞を受賞。

また同年度グラミー賞ベスト・ラップ・パフォーマンスを受賞する!

Ch-Check It Out

6thアルバム『To the 5 Boroughs収録曲。

僕が初めて聞いたBeastie Boysの楽曲!

町を練り歩きながらラップするBeastie Boysが本当にかっこよかった!

アルバム全体は暗い内容であるのにかかわらず、この曲だけ明るいヒップホップナンバー。

ヒップホップであるのにかかわらず、USモダンロックチャートで1位を記録している。

おすすめのアルバム

『Licensed to Ill』(1stアルバム/1986年)

80年代を代表するヒップホップの名盤

当時のメインストリームチャート及び、後世のヒップホップシーンに大きな影響を与えた。

またUSビルボードチャートでも1位を記録!

さらに売り上げも1000万枚を超えるモンスター級のアルバムとなった。

白人ヒップホップアルバムの金字塔である。

ローリング・ストーン誌The 500 Greatest Albums of All Time(2020年改訂版)では192位にランクインした。

『Ill Communication』(4thアルバム/1994年)

ハードコアやロック、ファンク要素が強いアルバム!

バラエティー豊かなアルバムである一方、怒りが全面的に押し出されているのが感じ取れるアルバム。

このアルバムではサンプリング要素とバンド自らが演奏しているトラックがちょうどいい感じで構成されている(語彙力不足ですみません)。

今作はUSビルボードチャート1位を記録!

『Hello Nasty』(5thアルバム/1998年)

バンド史上最高のパーティソングアルバムであり、批評家たちからは絶賛されたアルバム。

当時はRadioheadの台頭があり、暗い音楽が主流になりつつあったが、トレンドに関係なく彼らは明るさを前面に出した!

1999年に本作はグラミー賞ベスト・オルタナティブ・ミュージック・アルバムを受賞した!

同時に本作からシングルカットされた「Intergalactic」グラミー賞ベスト・ラップ・パフォーマンス受賞

外部リンク

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