ブリットポップの立役者!イギリスに光を取り戻したバンド「Blur」の軌跡とは?
概要
2012年8月、ロンドン中心部のハイド・パークにて。
Blurはロンドンオリンピックの閉会式と同時に開かれたロンドン五輪閉会記念コンサート「ベスト・オブ・ブリティッシュ」にヘッドライナーとして出演!
8万人を超える観客を前に最高のパフォーマンスを魅せる。
Blurはこのようにイギリスにとって大事な行事の大役を任されるほどのバンドであることが証明されている。
Blurは90年代に巻き起こったブリットポップブームを牽引し、後の世代に大きな影響を与えていた歴史的に名を残すバンドである。
そんな彼らの音楽・偉業を紹介します。
バンドの歴史
4人の出会い~期待の新人バンド登場
1988年、ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジに在学していたデーモン・アルバーンが、ロンドンで「サーカス」(Circus)という名のインディーズ・バンドを結成、後にBlurのドラマーとなるデイブ・ロウントゥリーも参加していた。
ほどなくしてギタリストが脱退したのを機に、デーモン・アルバーンの中学からの友達にして同じ大学に通っていたグレアム・コクソンがギタリストとして加入。
グレアムの加入によって、バンドの音楽のクオリティが飛躍することとなった。
またグレアムの大学の同級生であるアレックス・ジェームスがベーシストとして加入しバンド名を「シーモア」に変更。
1989年に「シーモア」はメジャーレーベルの「Food Records」と契約するが、レーベルから契約を条件にバンド名の変更を求められ、バンド名を「Blur(ブラー)」変更。
1990年にシングルの「She’s so High」をリリース。全英シングルチャートで48位にランクイン。
また1991年4月、プロデューサーにThe Smithsを担当したことがあるスティーヴン・ストリートを起用し、シングル「There’s No Other Way」をリリース。全英シングルチャート7位を記録。順調に成功していく。
また同年8月に1stアルバム「Leisure(レジャー)」をリリースし全英アルバムチャート7位を記録。
アルバムは批評家たちに絶賛され、イギリスの音楽雑誌セレクト誌は「ザ・スミス以来最高のグループ」と彼らを評された。
しかしその後彼らには苦難が待ち受けていた。
挫折...ブリティッシュロックを追求
1992年、Blurのマネージャーがバンドの資金を大量に使い込んでいたことが発覚!
破産は何とか免れたがバンドは大量の借金を背負うこととなり、借金返済のためアメリカでライブツアーを敢行!
しかしアメリカでは当時Nirvana・Pearl Jamが中心のグランジムーブメントの渦中にあったため、イギリスの明るい音楽が受け入れられるような状況ではなかった。
ライブではブーイングが起こったりと散々なものだったため、メンバーは酒に逃げるようになりアルコール中毒とになっていた。しかしこの苦い経験によってデーモンはイギリスらしさに拘ることを決意する。
1992年、バンドの再起を図ろうと単独シングル「Popscene(ポップシーン)」をリリース。
このシングルは今だと「最初のブリットポップソング」と呼ばれるほど評価が高い曲ではあるが、当時の全英シングルチャートは32位とあまり高くはなかった。
なぜならグランジムーブメントアメリカだけでなくイギリスにも波及していた。
また追い打ちをかけるように新バンド「Suede(スウェード)」が頭角を現すようになり、彼らのシングルがチャートを賑わすようになった。人気新人バンドとしての枠を完全に奪われてしまった。
バンドは窮地に立たされるが、彼らはグランジムーブメントに立ち向かうかのようにさらにイギリスらしさを追求。
1993年、2ndアルバム「Modern Life Is Rubbish」をリリース、全英アルバムチャートでは15位と決して奮わなかったが、このアルバムのイギリスらしさが次に訪れる新たな時代を作るきっかけとなった!
夜明けは近かった...
名盤『Parklife』のリリース
1994年、最高の名盤『Parklife』をリリース!全英アルバムチャートで1位を記録!
それだけにとどまらず1995年のブリット・アワードにて同アルバムが最優秀アルバムに選ばれ、シングル曲の「Parklife」も最優秀シングルを受賞、その他部門の賞を含めるとバンドとして4部門も受賞することとなった!(ブリット・アワードで同時4部門受賞は歴史上なんとBlurとアデルだけ。)
まさに時代の窮児となり、ブリットポップの代表格として扱われることとなった。
しかしそんな彼らの地位を脅かすバンドが登場することとなった。
Blur vs. Oasis!
1994年Oasis(オアシス)が1stアルバム「Definitely Maybe」をリリースし、全英アルバムチャート初登場1位を記録!鮮烈なデビューを飾った!
中流階級出身のおしゃれイケメンバンドの「Blur」
労働者階級出身のガラも口も悪いバンドの「Oasis」
メディアは彼らの対決を煽るようになった。
1995年8月14日、対決の日が来てしまった!
この日両バンドがシングルをリリース、Blurは「Country House」、Oasisは「Roll With It」をリリースし、売り上げ対決が始まってしまった。
勝者はBlurは「Country House」でバンド初の全英シングルチャート1位を記録!
イギリス中が熱狂した対決であったが、この騒動が原因で両者は甚大な被害を受けることとなる。
もっと言うならばブリットポップブームを衰退させることになってしまった...
勝利したBlurは同年4thアルバム『Great Escape』をリリースし、全英チャート1位を記録するがすぐにOasisは歴史的名盤の2ndアルバム『Morning Glory』をリリースし全世界で約2500万枚以上を記録!、商業的大敗をしてしまう。またアメリカツアーを敢行するがまたもや不況で終わる。
売り上げにとどまらず1996年のブリット・アワードではOasisが3部門受賞。全てにおいて負けることとなり、ショックとメンバー間の不仲によりBlurは活動休止することとなった。
Oasis側もノエル・ギャラガーがシングル売り上げ対決にイラつき「Blurのデーモンとアレックスはエイズにでもかかって死ねばいい」と発言。全方面から大バッシングを受けて、Oasisとしては珍しく発言を謝罪するほど追い込まれた!
※今現在では両バンドとも和解している。
再生から活動休止
1997年、デーモンは「ブリットポップは死んだ」と発言!また5thアルバム『Blur』をリリース!
前回のポップさとはうって変わって、ノイジーなギターアルバムに変貌!
全英アルバムチャート1位を記録し、同アルバムからシングルカットされた「Song2」は世界的にヒットする!
今まで相性が悪かったアメリカでも受け入れられるようになった。
次の6thアルバム『13』、7thアルバム『Think Tank』も全英アルバムチャート1位を記録!
しかし7thアルバム『Think Tank』のレコーディング期間にグレアムはバンドとの音楽性の違いからバンドと距離を置くようになり、ついにはスタジオへ来なくなる。
結果グレアムは解雇され、サポートギタリストとして元Verveのサイモン・トングが参加。
しかし2004年に新アルバムのレコーディングのためスタジオ入りをすることもあったが、グレアムのいないBlurは求心力を失い自然消滅的に活動を休止。
その後各メンバーは別々の音楽活動をする。
デーモン・アルバーンはソロプロジェクト、世界初のヴァーチャルバンド『Gorillaz』が世界的大ヒットを記録していたため、こちらに重きを置く。
再結成
2008年12月9日、オフィシャル・ウェブサイトにおいて、グレアムがデーモンと和解をしてブラーに復帰することが公式にアナウンスされる。
2009年7月3日にロンドンのハイド・パークで復活ライブが行われることが発表された。
この再始動に対する反響は大きく、5万人分の復活公演チケットは発売開始2分で即完売!
またコールドプレイ、ステレオフォニックス、カイザー・チーフスなど後進のバンドからは次々と歓迎のコメントや前座出演を請う逆オファーが寄せられた。
ときは飛んで2015年に8thアルバム『The Magic Whip』をリリース!
12年ぶりのスタジオアルバムにもかかわらず全英チャートで1位を記録!
3rdアルバム『Parklife』から6作続いて全英チャート1位を記録することとなった!
今もなおイギリスの代表的なバンドとして第一線で活動を続けている。
メンバー
デーモン・アルバーン
ボーカリスト
しかしギター・ベース・ドラム・ピアノなどあらゆる楽器を一通り演奏できる。
芸術家の両親のもとで生まれ育ったため芸術に対する造詣が深く、10代前半まではクラシック音楽を好んで聴いていた。
その後ロックにハマり、はやりのバンドからビートルズ・キンクスなどのブリティッシュビート等を研究して聞くようになったという。また近年ではヒップホップ・エレクトロニカ・民族音楽・現代音楽にも精通しており、音楽に対する探究心は尽きることはない。
また別のプロジェクト『Gorillaz』でも世界的な成功を収めている(アメリカではブラーよりも知名度が高い)。
イギリスのロックの歴史においての最重要人物の一人といっても過言ではない。
グレアム・コクソン
トレードマークは横縞のシャツにメガネのシャイなギタリスト。
陽キャのデーモン、陰キャのグレアムとしてバンドサウンドの中核を担う。
元々はアメリカのインディーロックバンドが大好きで、ソニックユースやDinosaur Jr.、ペイブメント等に影響をうけたギターサウンドが特徴的。
Blurの脱ブリットポップに舵を切るきっかけとなった人物でもある。
ポール・ウェラーやRadioheadのジョニー・グリーンウッド、Oasisのノエル・ギャラガーなど様々なアーティストからリスペクトされている。
特にOasisのノエル・ギャラガーはグレアムを「彼は同世代で最も優れたギタリストの一人」と称した。
アレックス・ジェームス
ベーシスト(写真の右端の人物)
ニューオーダーやデュラン・デュランなどのニューウェーブバンドを好んでいる。
容姿端麗で女性人気が高くモデル活動もしている。
またコミュ力が高く、インタビューでもバンドの中で一番気さくに答えている。
加えてかなりのインテリだとか・・・
すっごい羨ましい...
しかしバンドへの貢献度も高く、「Girls & Boys」のノリのいいベースのフレーズを考案したり、お蔵入りになりかけた曲「Universal」をバラード調に変更するのを提案し復活させてシングルヒットするまでになった。
今では酪農が趣味(もはや本業?)で田舎で広大な土地を買って、チーズ作りをしており「ブリティッシュ・チーズ・アウォード」でベスト・チーズにも選ばれている。
デイブ・ロウントゥリー
ドラマーでメンバー最年長。
バンド結成当初はプラグラマーとして働いていたインテリ。
このプログラマーという役職を活かして、1995年にEMIのアント・カウチという人物と共にブラー公式ウェブサイトを立ち上げている。これによりBlurは世界で初めて公式サイトを持ったバンドとなった。
またBlurが活動休止になっていた期間に、政治活動と弁護士になる勉強を開始。
なんと2012年に事務弁護士資格を獲得!
驚くにはまだ早い。
なんと1999年には「ナノメーション」というアニメ制作会社を設立!
番組用にアニメーション制作を制作していたが、2004年にはテレビシリーズアニメ『エンパイア・スクエア』を制作。デイブが監督を務める!
Blurのドラマーであり、プログラマー・弁護士・アニメ監督、肩書が多すぎる!
スーパーハイスペック人間だった。
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