Butthole Surfers(バットホール・サーファーズ)入門編【おすすめ曲・アルバム】

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画像出典:Butthole Surfers HOME | Facebook
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80年代アメリカのアンダーグラウンドシーンから登場した時代を代表するサイケデリックノイズ奇人集団!!

混沌としていた1980年代アメリカのアンダーグラウンドシーン...その混沌な雰囲気を作り出したバンドがButthole Surfers(バットホール・サーファーズ)

1980年代アメリカはロナルド・レーガン大統領が目指していた「強いアメリカ」という理想像を一緒に追うような形でロックも力強くスタジアム向けに進化を遂げていった。

それゆえロックはかつてのサブカル的側面や反主流的な性質が弱まっていったように見えたが、アンダーグラウンドシーンでは密かに進化していくロックに逆らうが如く90年代のオルタナティブロックの礎を作っていたバンドがいた。

それはButthole Surfers(バットホール・サーファーズ)であり、キャリア初期はハードコアシーンで活躍していたが、彼らのあぶなかっしいユーモアセンスノイズロックサイケデリックが加わることでアンダーグラウンドシーンでカルト的な人気を得た!

彼らのライブパフォーマンスはとにかく過激で、

  • シンバルを燃やす
  • 何の前触れもなく女装をする
  • ストリッパーを呼んでパフォーマンスさせる。
  • 血で満たした大量のコンドームを服の中に隠し、床に倒れて大出血しているよう見せかける。
  • ライブにハンバーガーが中に詰まった人体模型を出す
  • ライブ中にショットガンを発砲(空砲)

など狂ったエピソードに暇がない。

ただ彼らの音楽性とライブパフォーマンスに影響を受けているミュージシャンの数もすさまじく、Nirvanaカート・コバーンや、The Flaming LipsSonic YouthSound Gardenなど90年代オルタナティブロックシーンに多大な影響を与えている。

そんな奇天烈で偉大なバンド、Butthole Surfersの功績を名曲・名盤と共に紹介!!

メンバー

ギビー・ヘインズ

ボーカル兼サックス奏者。

Butthole Surfersの狂ったライブパフォーマンスは主に彼によって行われた。

ギビー・ヘインズはテキサス州ダラスで生まれ育ち、父は地元ダラスの子供番組『ミスター・ペパーミント』の人気司会者の俳優ジェリー・ヘインズであった。

学生時代ギビーは成績優秀かつ有名なバスケットボール選手でもあった。

彼はテキサス州のトリニティ大学で会計学を学び、修学中に「年間最優秀会計学生」を受賞したほどであり、卒業後はアメリカの大手会計事務所のPMM(ピート・マーウィック・ミッチェル )に入社した。

ただ学生時代から後のバンドメンバーとなるポール・リアリーとアンダーグラウンド音楽の趣味を通じて仲が良く、2人『ストレンジV.D.』という異常な病気の写真を面白おかしく説明する雑誌を自費出版していた。

しかし1981年、ギビーこの雑誌に載せる写真を所持していたことが職場でバレて、会計士の職を失った。

ギビーは失職後にポール・リアリーと共にオーダーメイドの服やリネンを売る仕事を経て、2人はテキサス州サンアントニオでButthole Surfersを結成した。


ギビーはかなりのジャンキー(麻薬中毒者)であり、朝食のコーンフレークにLSDをふりかけており、それをジョニーウォーカー(スコッチ)で喉に流し込むといういつ死んでもおかしくない食事をしていた。

その破天荒さからミュージシャンたちだけでなく、ハリウッド俳優ジョニー・デップからも尊敬されており、ギビージョニー・デップP(ピー)というバンドも結成している。

ポール・リアリー

ギタリスト。

ギビー・ヘインズとはトリニティ大学の同級生であり、音楽の趣味が一緒であることから仲良くなった。

ギビーが大学卒業後、ポール・リアリーMBA(経営学修士号)取得のため大学に残っていた。

ただギビーが上記の事件を起こしたことからギビーは失職し、ポールは彼と一緒に過ごしたいために大学を中退した。(あと1学期通学すればMBA(経営学修士号)取得出来ていたタイミングだった。)

Butthole Surfersではサウンド面に貢献しており、その経験から様々なアーティストのアルバムプロデュースをしている。

  • Meat Puppetsの『Too High To Die
  • ダニエル・ジョンストンの『Fun
  • Sublimeの『Sublime
  • U2『Elevation』(ミキシング担当)

など幅広いミュージシャンたちと仕事をしている。

キング・コフィー

ドラマー。

高校生の時にテキサス州のフォートワースでヒュー・ボーモント・エクスペリエンスというパンクバンドのドラマーをしていた。

その当時にButthole Surfersのパフォーマンスを目にして、彼らのファンになったという。

1983年にButthole Surfersのドラマーのスコット・マシューズが「ライブのたびに暴徒化するファンに耐えられない」ことを理由に脱退して、後任にキング・コフィーが加入して2016年の活動休止まで参加している。

現在キング・コフィーLatino BuggerveilというButthole Surfersの作品を扱うインディレーベルを運営しており、またUSA/Mexicoというバンドのドラマーをしている。

ジェフ・ピンカス

ベーシスト。

Butthole Surfersはベーシストが定まらなかったが、ジェフ・ピンカスはその中でも1987~1994年まで在籍していた。

その後はDaddy LongheadHonkyというバンドを経て、2013~2018年まではMelvinsのベーシストとして加入していた。

またベース以外にもバンジョーを演奏できる。

現在も精力的に音楽活動を行っている。

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