アメリカを代表するハートランド・ロックの代表格バンドであり、労働者階級の心情を歌ったレジェンドバンド!!
今回もまたまたスモール・イン・ジャパンの代表格を紹介。
※スモール・イン・ジャパン・・・世界的に有名であるのに日本でのみあまり知られていないバンド
そもそもバンドどころか日本人にとって馴染みのないロックのジャンルがある。
それはハートランド・ロック!!
ハートランド・ロックとはアメリカの中西部・南部の白人労働者の心情を代弁するロックであり、このジャンルで一番有名な歌手はブルース・スプリングスティーンだろう。
他にもボブ・シーガーやジャクソン・ブラウンなどがいるが、このハートランド・ロックというジャンルはアメリカの文化に強く根付いたものである以上日本を含め外国からの共感を得にくい。
また悲しいことにショービジネスの歴史というのは「いかに女性ファン層を得られるか」という観点が重要となる以上、ハートランド・ロック特有の男臭さは海外の音楽市場へのマーケティングにおいて不利以外の何物でもなかった。
以上の理由で浸透しなかったハートランド・ロックであるが、そのジャンルの中でも今回紹介するトム・ぺティ・アンド・ザ・ハートブレーカーズは異質な存在だったと思える。
彼らにはハートランド・ロック特有の力強さは引き換えに肩の力を抜いてクールかつ叙情的なメロディが多かった。
またただ叙情的だけでなく、その感情にポップで乗りやすいギターリフがかき鳴らされるので様々なリスナーにも受け入れられる要素が多かった。
その証拠にトム・ぺティ・アンド・ザ・ハートブレーカーズはボブ・ディランやローリング・ストーンズなどの先輩バンドからの評価も高いし、彼らの後輩バンドの多くがトム・ぺティ・アンド・ザ・ハートブレーカーズの楽曲に多大な影響を与え続けていた。
何といっても第42回スーパーボウルのハーフタイムショー(プロのアメフトのチャンピオン決定戦)に彼らが抜擢されたことが、アメリカを代表するバンドであることを示すと思う。
(※スーパーボウルのハーフタイムショーは高い視聴率と莫大な広告効果があるため、あらゆる面で人気のアーティストのみ抜擢される。すなわち抜擢される=成功者というパブリックイメージすらある。)
そんなトム・ぺティ・アンド・ザ・ハートブレーカーズの偉大さを彼らの楽曲と共に紹介!
トム・ぺティとは
生い立ち
トム・ぺティは1950年にフロリダ州ゲインズビルという街で生まれ育った。
彼はバスケと野球が好きなスポーツ少年であったが、1961年に彼の叔父がエルヴィス・プレスリー主演映画『夢の渚』の撮影スタッフであったことから、叔父に現場に連れられたトム・ぺティは生のプレスリーを見る。
このとき彼はプレスリーに強く憧れるようになりロックンロールに目覚める。
さらに1964年のエドサリバンショーに出演したビートルズを見て、トム・ぺティはバンドを組みたいと思うようになる。
またトム・ぺティは当時同じ町出身のEaglesのドン・フェルダーからピアノを教わったという。
いくつかのバンドを経て1976年にトム・ぺティ・アンド・ザ・ハートブレーカーズを結成した!
ミュージシャンから尊敬されるミュージシャン
当然トム・ぺティは商業的にも成功を収めているが、それ以上に偉大なミュージシャンたちが彼とのコラボを望んでいた。
彼は1988年にTraveling Wilburys(トラヴェリング・ウィルベリーズ)というバンドのメンバーになったが、このバンドの彼以外のメンバーは
- ジョージ・ハリスン(ビートルズ)
- ジェフ・リン(ELO)
- ボブ・ディラン
- ロイ・オービソン
という豪華っぷりで「史上最高のスーパーグループ」とも呼ばれていた。
つまりトム・ぺティが彼らに並ぶレジェンドクラスのミュージシャンであることを意味する。
他にもスティーヴィー・ニックス(Fleetwood Mac)やGrateful Deadなどの豪華アーティストたちともコラボしており幅広いジャンルから尊敬されていることがわかる。
パクリに寛容?
トム・ぺティの凄いところは稀代のメロディメイカーであることで、彼が作ったメロディが後続のミュージシャンたちと類似することが多々ある。
※彼の楽曲がどのミュージシャンの楽曲と類似しているかは「おすすめ曲」を参照!
しかしトム・ぺティは自分の楽曲がパクられることに対して「(パクったアーティストに対して)悪意があるとは到底思えないし、そもそもロックンロールは多くの曲は似たようなものだらけ」と語っている。
むしろトム・ぺティはアメリカの著作権をめぐる根拠のない訴訟が多いことに苦言も呈していた。
創作活動をよくするにはそれを取り巻く環境が自由であるべきという彼のスタンスが垣間見える主張だと思える。
次のページで彼のおすすめ曲を紹介!
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