Wire(ワイアー)入門編【おすすめ曲・アルバム】

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画像出典:Wire HOME | Facebook
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ロンドンパンクシーンで最も独創的かつ影響力を持ったレジェンドバンド!!

1976年イギリスのロンドン、パンクロック・ムーブメントの流行により若者がセックスピストルズクラッシュダムドなどのバンドに熱狂していた。

その傍らでロックミュージックそのものの構造を破壊しパンクのさらに先をいったポストパンクに突き進んでいたバンドがいた。

その名前はWire

Wireは1976年に結成されたが、当時バンドメンバー全員がほとんど楽器を触ったことが無いような連中であった。

それが幸か不幸か、新たな音楽が出来る条件となった。

彼らが編み出した新たなアプローチ、それは音楽のミニマル化!

通常のポップミュージックはイントロがあり、Aメロ、Bメロ、サビといった過程を踏むのが常識であったが、彼らは1つの特徴的なリフとメロディさえあればその材料一つで曲を作ってしまった。

それゆえ彼らの曲は2分前後で終わるものがほとんどで、中には30秒ほどで終わる曲もあるほどだ。

特徴的なリフが繰り返される中、政治的ではない芸術的な内容を歌い上げる。

この無機質かつ無駄のない、なおかつ新鮮なスタイルは後の世代に多大な影響を与えた。

などWireから影響を受けたバンドは数知れない。

不思議なことに国内イギリスのバンドよりもむしろアメリカのインディーシーンに影響を与えていた。

そんな偉大なバンドについて詳しく紹介していく。

メンバー

コリン・ニューマン

ボーカル/ギター。

ほとんどの楽曲の作詞作曲を手掛けている。

幼少期は60年代のクラシック・ポップス、モータウン、ガレージ・ロック、フォーク、スカ、レゲエ、プログレッシヴ・ロック、カリフォルニアのアコースティック、クラウトロックなどのジャンル分け隔てなく聞いていたが、彼自身楽器の経験はなかった。

元々は画家を志しておりワトフォード芸術大学に進学し、画家ピーター・シュミットのもとで学ぶ。

また大学の休暇期間にて知り合ったブルース・ギルバートグレアム・ルイスロバート・グレイと共にバンドを組み、これがWireの始まりであった。(しかし本当はあと一人メンバーがいたという。)

またWireが解散していた頃にソロデビューしており、このときも実験的なスタイルを貫いていた。

さらに1993年にSwimという自主レーベルを主宰し、自分のソロアルバム含め様々なバンドのプロデュースと流通に尽力している。

現在もWireとしての活動を続けている。

ブルース・ギルバート

ギタリスト。

メンバー最年長であり、バンド結成当時の時点でブルースは30歳であった。

元々抽象画家であったが、生活費を稼ぐためコリン・ニューマンが通うワトフォード芸術大学の司書のバイトをしていたところ、彼と知り合い意気投合。

ギグやライブは観客が単なる消費者でなく、演者と楽しみを共有できるような場でないといけないという思想を持っており、この思想が後のポストパンクマッドチェスターなどのクラブ文化に繋がったように思える。

またWireが最初に解散した1980年以降は、ベースのグレアムと共にDomeというバンドで活動していた。

その後Wireは1985年に再結成、その後1993年に再び解散。

だが1999年に3度目の再結成を遂げる。

しかし2004年に彼はWireを脱退。

他のメンバーにメールで脱退することを伝えただけで理由は未だにわからないとのこと。

しかし今でも彼は音楽活動を続けている。

グレアム・ルイス 

ベーシスト。

元々音楽好きで海賊ラジオ局を立ち上げ自らがDJとして活動していた。

※海賊ラジオ・・・正規の放送免許を持たない人たちが放送していたラジオ番組全般のこと。当時ロック・ミュージックの規制が厳しかったため、政府の制限を受けずにロックが聞けるこの海賊ラジオが人気を博していた。

よくバンドの作詞に参加することがあり、彼の詩は風変わりでシュールかつ遊び心があるものだと定評があった。

現在でもWireのメンバーとして活動している。

ロバート・グレイ

ドラマー。

芸名としてロバート・ゴトべド(Robert Gotobedとも名乗っている。

元々1973年にスネークスというR&Bグループを結成したが、そのころロバートはボーカルを担当していた。

しかし同グループでドラムの練習を始めていた。

Wireが解散していた頃は他メンバーが音楽活動を続けていた一方、彼のみが農業をしていた。


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