ニューヨークパンクシーンで異彩を放ったニューウェーブのパイオニア!
今でこそパンクと言えば「政治的・社会的反抗」というイメージで語られがちであるが、これは1970年代中期から後期のセックスピストルズやThe Clashをはじめとするロンドンパンクが生み出した概念である。
そんな彼らが登場する前にパンクは存在していた。
1970年代前半、ニューヨークにある小さなバンドハウスCBGB(Country, Blue Grass, and Bluesでニューヨークパンクというジャンルが生まれていた。
ロンドンパンクが「政治的・社会的反抗」であるのに対して、ニューヨークパンクは「音楽的・芸術的反抗」であった。
彼らは既存の音楽とは別の表現方法の追求し続けており、その中でも一番特異な存在と言えばTalking Heads(トーキング・ヘッズ)であった。
バンドのメンバーは全員アメリカでも最高クラスの美術学校ロードアイランド・スクール・オブ・デザイン出身のため、群を抜いてアート志向の人間たちであった。
彼らの持ち味はパンクとアフロリズムの融合。
それだけにはとどまらずよりメロディックなギターポップなども世に放ってきた。
そんな彼らの音楽性に影響を受けたバンド・アーティストは
- エディ・ヴェダー(Pearl Jam)
- Radiohead
- Vampire Weekend
- The 1975
- トレント・レズナー(Nine Inch Nails)
など多数のミュージシャンがいる。
中でもRadioheadはバンド名をTalking Headsの曲である「Radio Head」からとっているほどである。
そんな彼らを今回は紹介!
メンバー
デヴィッド・バーン
リードシンガー/ギタリスト。
バンドのほとんどの楽曲の作詞作曲を手掛けている。
幼いころから音楽に触れており、ギター・アコーディオン・ヴァイオリン・ハーモニカの演奏を身に着けていた。
その後美術学校ロードアイランド・スクール・オブ・デザインに入学し、学内にあった「ファビュラス・モーテルズ」(パフォーマンスアートと寸劇とロックの融合を試みていた芸術集団)に参加するようになる。
そこで後にバンドメンバーとなるクリス・フランツとティナ・ウェイマスと知り合う。
卒業後デヴィッドはクリスと共にArtisticsというバンド結成し、そこにティナが加わることでバンド名をTalking Heads(トーキング・ヘッズ)に改名した。
彼はワールドミュージックに傾倒しており、ラテンミュージックを始めキューバ、アフリカ、極東など様々な民族音楽を自身の音楽に取り入れた。
バンド解散後、デヴィッドは映画や演劇、ミュージカルなど様々な音楽を手掛けており、アカデミー賞、グラミー賞、トニー賞、ゴールデングローブ賞を受賞している。
映画『ラストエンペラー』の劇中音楽を担当しており、ゴールデングローブ賞・アカデミー賞を受賞した。(同じく映画音楽を担当していた坂本龍一、コン・スーも受賞している。)
クリス・フランツ
ドラマー。
デヴィッドと同じくロードアイランド・スクール・オブ・デザイン出身であり、そのころからティナ・ウェイマスと交際していた。
そして1977年に2人は結婚している。
また彼は1981年に妻ティナと一緒にTom Tom Club(トムトムクラブ)というサイドプロジェクトを開始。
このバンドからリリースしたシングル「Wordy Rappinghood」・「Genius of Love」は二つともビルボードホットダンスクラブプレイチャートの1位を記録した。
Talking Heads解散後は、イギリスのハッピーマンデーズのプロデュースをしたりなど精力的に活動を続けている。
ティナ・ウェイマス
ベース/ボーカル。
ドラマーのクリスの妻。
元々はデヴィッドとクリスがしていたバンドArtisticsの運転手のようなことをしていたが、ベーシストが見つからなかったため彼女が加入することとなった。
またTalking Headsに加入するまでベースの演奏経験がないため、デヴィッドがティナにベースのレッスンをしていた。
彼女はWireやPere Ubuのようなポストパンクとレゲエ・ファンクを組み合わせたベースプレイに定評があった。
Sonic Youthのキム・ゴードンやHaimのエステ・ハイムなどの女性ベーシストに多大な影響を与えた。
Tom Tom Club(トムトムクラブ)ではボーカルを担当していた。
ローリングストーン誌が選ぶ「史上最も偉大なベーシスト50(The 50 Greatest Bassists of All Time)」にて29位にランクイン。
ジェリー・ハリスン
キーボード/ギタリスト。
彼はハーバード大学出身であり視覚環境学という分野で学士号を取得している。
元々はプロトパンクというジャンルで影響力があったバンド、ザ・モダン・ラヴァーズのメンバーとして活動していたが1974年で解散した。
その後1976年にジェリーはティナに「Talking Headsに加入したい」と連絡したことで、1977年に彼は正式メンバーとなった。
加入当初Talking Headsの古参ファンから酷評されていたが、後にジェリーの実力で彼らを黙らせた。
Talking Heads解散後は、他のアーティストのプロデュースをしたりなど精力的に活動を続けている。
次ページからおすすめ曲・アルバムを紹介!!
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