ミクスチャーロックを代表するレッチリ!だが華やかなに見える彼らの音楽は長い下積みを経て作り上げられたものだった!
今更レッチリの紹介かよ!?
って読んでくれている人は思うかもしれないが、大丈夫、書いている本人も思っている。
ただレッチリの下積みを知らない人は正直な話多いのではないかと思って、キャリア初期を中心に紹介していきます。
あとミクスチャーロックバンドを今後中心的に紹介するにあたり、避けては通れないバンドであるため紹介を投稿しました。
そのためレッチリを知っている人も知らない人も楽しめる内容になっていると思います。
↓それでは彼らの略歴から紹介します。
略歴
出会い~デビュー(1983年~1987年)
Red Hot Chili Peppersのオリジナルメンバーは
- アンソニー・キーディス(ボーカル)
- フリー(ベース)
- ヒレル・スロヴァク(ギター)
- ジャック・アイアンズ(ドラム)
の4人によって1983年に結成され、ロサンゼルスを中心に活躍していた。
1984年にデビューアルバム「Red Hot Chili Peppers」を発表。
プロデューサーはイギリスのポストパンクバンド、ギャング・オブ・フォーのギタリストアンディ・ギルだった。
しかしアルバムの完成度は本人たちが納得いかないものであり、商業的にも失敗に終わる。
1985年に2ndアルバム『Freaky Styley』を発表!
プロデューサーにはファンクの大御所であるPファンクのリーダー、ジョージ・クリントンであった。
かなりファンク色が強いアルバムで批評家たちからの評価は高かったが、商業的には成功しなかった。
1987年に3rdアルバム『The Uplift Mofo Party Plan』をリリース。
前回のファンク要素を基調に、ヘビーメタルやレゲエの要素が取り入れられた。
アルバムも初めてビルボード200以内にランクインして、最高148位にチャートイン。
しかしデビュー当初から問題視されていたメンバー全員のドラッグ問題が深刻化。
そして悲劇が起きる...
ヒレルとの死別~再始動(1988年~1990年)
1988年、ギタリストのヒレルがヘロインの過剰摂取により死亡。
彼の死によりドラマーのジャック・アイアンズも脱退。
バンドは窮地に立たされる。
しかし残されたメンバーアンソニーとフリーは次に進むことを決めて、ドラッグを断つことを誓う!
幾度もオーディション・メンバー交代を重ね、新しいメンバーとしてジョン・フルシアンテ(2代目ギター)とチャド・スミス(ドラム)が加入!
ここから快進撃が始まる!
1989年に4thアルバム『Mother’s Milk』を発表!
USチャート52位にランクイン、ゴールドディスクを獲得しバンドで初めて商業的成功を収める。
メジャー進出~ジョンの突然の脱退(1991年~1992年)
バンドは新たにワーナー・ブラザースと契約。
プロデューサーにリック・ルービンを起用し作られたアルバム。
1991年に5thアルバム『Blood Sugar Sex Magik』をリリース。
このアルバムではヘビーメタル的要素は削減され、よりメロディアスになりました。
当時はグランジオルタナティブムーブメントが隆盛を極めた時期もあり、このアルバムはUSチャート3位にランクインし大成功を記録。
さらにシングルカットされた「Under the Bridge」で、初の全米2位を獲得。
別のシングル「Give It Away」はグラミー賞ハードロック部門最優秀シングル賞を受賞している。
しかしまた悲劇がおこる。
ギタリストのジョンが急な成功によるプレッシャーにより前から抱えていたドラッグ問題が悪化。
1992年5月ジョンは東京でのツアーの後、突然バンドを辞める。
またもやバンド存続の危機に陥る。
デイブ・ナヴァロ加入~ジョンの復帰(1995年~1999年)
1995年に6thアルバム『One Hot Minute』をリリース。
後任ギタリストはレッチリと共にミクスチャーロック創成期から活躍していたJane’s Addictionのデイブ・ナヴァロが加入。
ファンクとヒップホップ、モダンヘヴィネスが融合された作風であり、USチャート4位にランクインし成功を収める。
だが1996年に方向性の違いからデイブ・ナヴァロはバンドを脱退する。
しかし転機が訪れる。
1999年ジョンが復帰し、7thアルバム『Californication』をリリース。
USチャート3位を記録し、全世界で1,500万枚以上の売り上げている。
世界制覇(2002年~)
2002年に8thアルバム『By The Way』をリリースし、USチャート2位を記録し、UKチャートで初の1位を記録した!
さらに2006年に9thアルバム『Stadium Arcadium』を発表、USチャート/UKチャートともに1位を記録し、オーストラリア・カナダ・日本・ヨーロッパ各国を含む17か国で1位を記録!
まさにRed Hot Chili Peppersは世界を制覇した。
その後も2011年には10thアルバム『I’m with You』、2016年には10thアルバム『The Getaway』を発表するなど現在でも第一線で活躍している!
メンバー
アンソニー・キーディス
アンソニーはバンドのボーカルでありフロントマン。
楽曲のほとんどの作詞を手掛けている。
キャリア初期はラップ風の歌唱がほとんどであったが、中期以降は一般的歌唱方法に変わっている。
歌の内容も初期はロサンゼルスでの生活におけるセックス・ドラッグに関するものが多かったが、中期以降は恋愛や依存症や喪失の悲しみなど多様なテーマを扱うようになった。
フリー
ベーシスト。
レッチリのオリジナルメンバーであり、本名はマイケル・ピーター・バルザリー。
フリーとはあの虫のノミという意味で、飛び跳ねながら演奏している様子からフリーと名付けられた。
彼のファンクを基調としたアグレッシブな高速スラップは後のミクスチャーロックバンドに多大な影響を与えた。
また音楽に対してかなりストイックであり、世界的成功を収めた後の2008年に「もう一度音楽の理解を深めるため」にと南カリフォルニア大学の音楽学部に入学し、改めて音楽理論を学んでいる。
Red Hot Chili Peppers以外にもRadioheadのトム・ヨークと一緒にAtoms For Peaceというバンドを組んで活動もしている。
また俳優活動もしており、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のPART2とPART3に出演していいる。
また役柄はPART2とPART3どちらも「主人公マーティの人生を台無しにするきっかけを作る友人」という役である。
ヒレル・スロヴァク
ヒレルはバンドの初代ギタリストであり、アンソニーとフリーの学生時代からの親友でもあった。
またオーストラリア訛りを理由にいじめられていたフリーをアンソニーと共に助け、ロックを教える。
またヒレルはトランペットに熱中していたフリーにベースの基礎教えた。
彼のプレイスタイルはジミ・ヘンドリックス、サンタナ、レッド・ツェッペリンなどから影響された攻撃的なスタイルで、メロディアスなカッティングリフを得意としていた。
彼のプレイにジョン・フルシアンテは影響を受けて、彼のファンになったという。
しかし1988年にヒレルはヘロインのオーバードーズで死亡。
26歳という若さでこの世を去ってしまった。
ジョン・フルシアンテ
2代目ギタリストであり、元々はRed Hot Chili Peppersの大ファンだった。
加入時の年齢は18歳とかなり若く、Red Hot Chili Peppersが彼にとっての初のバンド活動でもあった。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」にて2003年版には第18位、2011年の改訂版では第72位とかなり評価が高い。
また彼のソロ活動も有名で、エレクトロニカや現代音楽・アンビエントミュージックなど多岐にわたる。
チャド・スミス
2代目のドラマーであるが、レッチリの黄金期を支えた名ドラマーである。
身長191cmという巨漢からなるパワフルなプレイを得意とし、グルーヴィーかつ安定感のあるドラミングが特徴である。
「ローリング・ストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のドラマー」において87位。
おすすめの曲
Knock Me Down
4thアルバム『Mother’s Milk』収録曲のシングル。
元メンバーであり26歳の若さでこの世を去ったヒレル・スロヴァクへの追悼曲。
彼がヘロインの過剰摂取により亡くなったためか、ドラッグ文化やそれに付随するロックスターのライフスタイルを批判した曲になっている。
曲自体はマイナー調のノリのいいファンクメタルナンバー。
USオルタナティブエアプレイでは6位を記録した!
Give It Away
5thアルバム『Blood Sugar Sex Magik』収録曲のシングル。
グルーヴ重視のファンクロックナンバー!
とても聞きやすくてクール!
USビルボードホットチャートでは73位!
USオルタナティブエアプレイでは1位を記録した!
1992年の第35回グラミー賞ではこの曲で「最優秀ハードロック・パフォーマンス・ウィズ・ボーカル賞」を受賞した。
Under the Bridge
5thアルバム『Blood Sugar Sex Magik』収録曲のシングル。
アコースティックギターをフューチャーしたバラード風ナンバー。
ドラッグ中毒がもたらす孤独や落胆についての曲であるため少ししんみりした曲でもある。
USビルボードホットチャートでは2位!
USオルタナティブエアプレイでは6位!
USモダンロックチャートでは2位を記録した!
Around the World
7thアルバム『Californication』収録曲のシングル。
バンドのツアー定番曲。
アンソニーが、ロベルト・ベニーニの映画「ライフ・イズ・ビューティフル」をみてインスピレーションを受けて作詞したといわれている。
ミドルテンポでグルーヴ感あふれるが、どこかサイケデリックなナンバー!
USオルタナティブエアプレイでは7位!
USモダンロックチャートでは16位を記録した!
By the Way
8thアルバム『By The Way』収録曲のシングル。
歌メロ重視のミクスチャーロックの曲。
この曲はUSビルボードモダンロックチャートで1位!
UKのロック・メタルチャートでも1位を記録している!
Dani California
9thアルバム『Stadium Arcadium』収録曲のシングル。
USビルボードモダンロックチャートで14週間連続1位を記録!
また日本の映画「デスノート」公式ソングに起用されている。
PVもレッチリのメンバーたちがプレスリー、ビートルズ、セックスピストルズ、Nirvanaなどのコスプレをするユニークなものになっている。
おすすめのアルバム
『Mother’s Milk』(4thアルバム/1989年)
メジャー進出後初のアルバムであり、初めてジョン・フルシアンテとチャド・スミスが参加したのアルバム。
このアルバムはゴールドディスクを獲得しバンドで初めて商業的成功を収めたアルバムではあるが、制作過程においてはバンドとプロデューサーとの衝突が絶えなかった。
内容は基本アグレッシブなもので、「Subway to Venus」、「Magic Johnson」、「Stone Cold Bush」などアップテンポでエネルギッシュな曲が多い。
またスティービー・ワンダーの「Higher Ground」のカバーや、ジミ・ヘンドリックスの「Fire」のカバーなどが収録されている。
『Blood Sugar Sex Magik』(5thアルバム/1991年)
新たにワーナー・ブラザースと契約、プロデューサーにリック・ルービンを起用し作られたアルバム。
このアルバムを最高傑作にあげるひとが多い。
音楽性もリズム重視からメロディ重視シフトしていき、商業面でもUSチャート3位を記録し大成功した。
ローリング・ストーン誌が選ぶ『オールタイム・ベストアルバム500』に於いて、310位にランクインしている。
『Californication』(7thアルバム/1999年)
薬物中毒によって一度バンドを脱退したジョンが復帰して作られたアルバム。
今まで以上にメロディアスで優しい雰囲気のサウンドとなった。
バンド史上最大のヒット作であり、全世界で1,500万枚以上の売り上げている。
またシングルカットされた「スカー・ティッシュ – Scar tissue」はグラミー賞を受賞。
ローリング・ストーン誌が選ぶ『オールタイム・ベストアルバム500』に於いて、401位にランクインしている。
さらに『オールタイム・ベストアルバム500』(2020年改訂版)では286位にランクアップした!
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